scene.3

 駅までの道すがら、忍は川島氏と幾らかの話をした。
 とは言っても、せいぜい十五分程の短い道程なので、そんなに多く話す時間も無かったが。
  それじゃ、川島さんは出版社の方なんですか」
「そ、いわゆる"編集"てヤツでね。作家さんたちに日々お預けを喰らってる切ない身分なんだ」
 笑いながら彼は答えた。
「大変ですね」
「だから、アイツにもよく言っといて。〆切は守れよ、って」
「え…」
 川島氏の言葉に、忍は困惑した。
 志月に向かって冗談を言う処なんて、想像がつかない。
 まして、本気だとしたら、仕事の事に口を挟むなんて、怖ろしくてもっと出来ない。
「そのぐらいの気持ちでいた方がラクだよ、ってこと」
 川島氏がまた笑った。
 よく笑う人だ、と忍は思った。
「アイツもなあ…黙り込んで真面目な顔してると、気難しく見えるからなぁ」
 困ったもんだ、と川島氏が肩を竦める。
(実際、気難しいと…思うけど…)
 心の中で呟いた。
 すると、それが聞こえたかの様に川島氏が言った。
「元来、明朗な性格だよ。アイツは」
「え…!?」
「育ちが良過ぎて天然なところはあるけど」
 まるで想像がつかなかった。
 どうも、彼の知っている人物と、忍が一緒に生活している人物は別人らしい。
「あんな調子じゃなぁ。想像つかないよな」
 忍が困惑していると、川島氏にさらっとフォローされた。
(本当に鋭いな、この人…)
 あまりにも言葉を先回りされるので、忍は彼が少し怖くなった。
「そう言えば、どくらい一緒に住んでるんだい?」
 突然、川島氏が話題を変えた。
「え? ああ、六年くらい…ですね」
 ごく普通にさらっと訊かれたので、忍はそれを世間話の延長だと思った。
「あ、そうなんだ」
 忍の返事を聞いた彼は、少し複雑な顔をした。
(……?)
「六年…ね」
 極々小さな声で、川島氏が呟いた。
「それが、どうか?」
 忍が問い返すと、彼はすぐにまた普通の顔に戻った。
「いや、その頃ならまだ小学生だな、君」
「…? そうですね」
「じゃあ、まだ憶えててるかな?」
「何をですか?」
「本当の名前」
 友達に名前を聞く様な気軽さで、川島氏が忍に訊ねた。
「え…ああ…名前、ですか? あまり、はっきりは憶えてません。すみません」
 あまりに軽い調子で訊かれたので、やはりこれも世間話の一部だと思って、忍は普通に答えてしまった。
「じゃあ、やっぱり志月が君に『しのぶ』って付けたんだな」
 そう言って、彼は急に真顔になった。
「あ…」
 忍は、自分が誘導に引っ掛かった事に気付いた。
「悪かったね、引っ掛けるみたいな訊き方して」
 川島氏が溜息を吐いた。
「川島さん、そんな事が訊きたくて俺を連れ出したんですか」
 忍は困惑していた。
「まあね」
 そう答えた彼の顔は、とても寂しそうだった。
「川島さん、何かずっと俺の事気にしていますよね」
 顔を合わせた瞬間から、彼の態度は少々妙だった。
 彼がそうやって自分を引っ掛けてくるなら、忍は忍で彼に質したい事がある。
「……。
 それで? 君は、俺に何か訊きたい事があるかい?」
 何を訊かれるか分かっている顔で、川島氏が忍に質問を促した。
「川島さん、知ってるんですね? この顔の持ち主が誰なのか」
 知っているから、驚いた。
 その事は、先刻書斎で話している時も薄々感じていた。
「ああ、知ってる」
 そう答える彼の口調は、まるで世間話の延長の様にさらっとしていた。
「誰なんですか?」
 だから忍も、志月には訊きたくても訊けなかった事が訊ける、と思った。
「君、それを訊いてしまって良いのかい?もしかしたら、知らない方が楽かもしれないぞ?」
 意地の悪い返事が、返ってきた。
 "知らない方が楽"
 そう言われると否定できない。
 しかし  
「川島さんが、誘導したんでしょう? 俺が、この質問をする様に」
 忍がそう言ったら、彼は笑って手を叩いた。
「正解。君、志月よりよっぽど洞察力あるよ」
 何が可笑しいのか、川島氏が大笑いしている。
「これだけわざとらしく仕向けられたら、幾らなんでも気付きます」
 実は、たった今気付いたばかりだ。
 しかし、引っ掛けられてばかりでは悔しいので、忍は最初から気付いていた振りをした。
「俺から一方的に話す訳にはいかないし、それなら君に興味を持ってもらおうかと思って」
「…タチ悪いです…」
 何でもない話の振りをして、少しずつ興味を引く様に、そして、忍が怯む前に核心へ導いた。
「それで、どうする? 今なら俺は何も言わずに帰ることも出来るけど」
 最後の決断を迫った彼の言葉は、今度こそ意地悪でも誘導でもなく、真面目に忍の意志を確かめるものだった。
「…誰なんですか?」
 躊躇い無く、忍は口唇に問いを載せた。
 訊くまでも無く、何となく分かってはいるのだが。
「志月の婚約者だった子だよ。同じ高校の同級生で、俺も直接知ってる」
 やっぱり、と思った。
 恋人か、婚約者  大体その辺りだとは、思っていた。
(今更、それ程驚きも無いな…)
 ただ、身体に捲き付いて離れない閉塞感が強くなった様な気がした。
「その人の名前が、"忍"だったんですか?」
 その質問は、話の流れの慣性に引き摺られて零れただけだった。
「字は違ったと思うけど。確か、一文字じゃなかったから」
 彼は、忍の問いに肯定を示した。
「その人、今は?」
 これの答えも、何となく分かってる。
「七年前に亡くなっている。婚約してあまり間が無かったんじゃないかな。留学先で不幸な事故に遭ってね」
 彼が複雑そうな顔をしていた理由をやっと理解した。
(事故が起こったのは七年前。
 俺があの家に来たのが六年前。
 まして、死んだ相手が直接見知った人物なら…良い気分は、しないだろうな)
 驚きも衝撃も無かったけれど、何故だろうか、忍は途方に暮れてしまった。
 何もかも、何となく想像していた答えと同じで、今更驚く余地も無い。
 そして、正解していても、何一つ嬉しくもない。
「お、もう駅か。忍君、ありがとう」
 気付けば、地下鉄の駅に辿り着いていた。
「いえ…」
 忍は既に上の空だった。
「…あ、そうそう。これ、俺の名刺。
 何かあったら電話しておいで。
 俺もこんな話振っちゃった以上、全くの無関係でもないし」
 小さな紙片を手渡された。
「…ありがとうございます」
 受け取ったものの、多分電話する事は無いのではないか、と思った。
「ほんとに、だよ」
 忍の気持ちを見抜く様に、川島氏がもう一度念を押した。
「……」
 口で何を答えても相手が見抜いてしまうので、忍は答えられなくなってしまった。
「困らせたかな。ごめん」
 川島氏が苦笑した。
 そして、そのまま駅に続く階段に吸い込まれていった。


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