scene.5
志月と二人、夕食も済ませて、あても無く浮かれた街の中を歩いている時だった。
「おーい!」
突然、大きな声が二人の会話と忍の思考を遮った。
顔を上げて見ると、前方から大きく手を振っている人物がいる。
「知り合いか?」
志月が忍を見る。その人物は連れと共に、どんどんこちらへ近づいてくる。
「さあ…、あ!」
「よう」
北尾だった。隣に立つ人物とは面識が無かった。
「先輩?」
「もう気分治ったか?」
ごく自然な動作で、北尾が忍の額に手を当てた。
その動きの自然さに、忍は却って驚いた。
「はあ、まあ…」
北尾の手から逃げる様に半歩下がって、忍は曖昧な返事をした。
触られる事に、ほとんど条件反射の様な抵抗感があった。
そして、ふと思った。
(そう言えば 昨日、千里に手を握られたのは平気だった…。
あんなに『嫌いだ』と思っていたのに、何故? )
それは、とても不思議な事だった。
基本的に、人に触られるのはそれ程得意ではないのだ。
北尾に対する反応の方が、忍の中では自然な事だった。
昨日は、特殊な精神状態だったから、そんな事を気に留める余裕も無かったのだろうか。
それとも
「あ、この子か。お前が五時限目サボって、送ってったっつったの」
北尾の横の男がが口を挟んだ。その声で、忍の思考は再び途切れた。
「うるせーよ、町田」
友人の言葉を制した後、忍の横にいる志月に気付いて、北尾が一礼した。
「失礼しました、同じ高校の北尾です」
「ああ、どうも」
志月も礼を返す。
「何してるんですか? こんなとこで」
「ああ、明後日仲間内でクリスマス兼忘年会やるから、店に予約取りに」
「また、随分ぎりぎりなんですね」
もう今日は二十一日だ。
「おかげで、足で探すハメになってさ」
溜息混じりに北尾が肩を竦めた。
「幹事の誰かさんが、なかなか動かなかったんだろーが」
町田と呼ばれた
「マジでうるせーよ、町田」
北尾が町田を軽く小突いた。
どうもこの北尾という人間は、スキンシップに抵抗が無い性質の様だ。
見ていると、やたら人に触っている。
「お、そーだ。君も来ない? 人数は多い方が楽しいし、一年のメンツが突然一人減ってさ。どう?」
「あ、え 」
突然の誘いに、忍は返す言葉に詰まった。
どう答えて良いのか分からず、志月に目線を遣った。
「 まあ、ハメを外し過ぎないように…」
志月も困惑した様子で、それでも、消極的な了解を降ろした。
少し意外だった。
彼は、承服しないと思っていた。
特に、今日の様に忍と重なる誰かの影が濃い日には。
「じゃあ、参加で…」
戸惑いつつ返した忍の返事に、被さる様に町田が指を鳴らす。
「よぉーし! これで、多少むさくるしさが解消される!」
「もー黙っとけ、町田…」
北尾が手に負えない、と頭を押えてしまった。
「急な話で悪いな。じゃあ、明後日授業が終わったら中廊下の一年生側で待ってて。 それじゃあな」
まだ話を続けようとしていた町田を引き摺りつつ、北尾は去って行った。
「……」
「……」
何だか気圧されてしまい、二人してしばらく口を開く事が出来なくなってしまった。
「今のは?」
ようやく志月が口を開いた。
「学校の先輩だよ。二年生。 片方の…うるさかった方の人は、初対面」
「何の先輩だ? 部活動も委員会もしてなかっただろう?」
「あ、 直接の先輩じゃなくて、同じ学年の友達、の、先輩」
少し苦しい説明になった。千里を「友達」と表したは良いが、それをまた説明を求められると困る。
「それで、五限目サボってというのは?」
志月は、普段あまり忍自身の行動にあまり関心を持たないのだが、今日の追求は中々厳しかった。
それは今日の志月には、件の『誰かさん』と忍の区別が曖昧になってしまっているからだ。
「実は、調子悪くて早退したんだ。だから、午後からずっと寝てた」
「 それで、あの比較的落ち着いてた方の子が、今日、学校を早退した時、家まで送ってきてくれた訳か」
先刻の雑談から推測したらしい。少し面白くない様な声で呟いた。
「うん、まあ、そう」
先にきちんと話していなかっただけに、隠していた様で気まずい。
彼は、忍に対して、時々心配して見せたり、時には嫉妬の様なものさえ示すこともあるけれど、それが自分に宛てたものではない事を、忍自身も薄々感じていた。
そもそも、志月の中の『忍』というイメージの中に他の誰かの記憶が『混じって』いるのではない。
『誰か』の欠けてしまった空席に、無理やり『忍』という器を嵌め込んだのだ。
そのくらい、何となく解っている。
「それが、どうした」
小さな声で呟いた。
そのくらいの事は、何でもない。
ただ、気になるだけだ。
自分が誰の背中を照らして出来る影なのか ただ、気になるだけだ。