scene.1 真夏の夜話

 それは、ある当直の夜のこと。
 仮眠前に一服  と、煙草を片手に喫煙所に向かう途中だった。
 その移動途中、要は恋人への不定時連絡を入れた。
 声を潜め、出来るだけ携帯のマイクに口唇を寄せる。
「ええ…当直明けにカンファ入りますけど、その分確実に午前中で勤務明けますから  え?」
『だから、別に無理しなくていいって。ホームセンターにちょっと行くだけなんだから。行き違ったら行き違ったで、後から会えば』
 受話器の向こうからは、呆れ気味の声が聴こえる。
「3週間ぶりなんですよ!? ちょっとでも長い時間一緒にいたいじゃないですか」
 あまりにも素っ気ない恋人の態度に、要の声が少し非難がましくなった。
 勤務上の擦れ違いから、かれこれ3週間余り顔を合わせていない。
 明日を逃すと、また2週間はシフトが合わない。
『はいはいはい、分かったって! 出来るだけ待っててやるから。それより、院内だろ。いい加減電話切れって』
「まだ医局側の廊下ですよ、医療機器も計測機器もありません。
 え、ちょっ…っ!
 …………………。
 ……切られた」
 とうとう通話を切られてしまった。
 諦めて要は携帯をポケットに仕舞う。
 どのみち、医局の廊下もここで終わりだ。
 目の前の扉の向こうは、一般スペース。
 要自身の言葉をもう一度使うなら、医療機器も計測機器もある。
 扉を開け、職員スペースから一般スペースへ移動。

 その音に気付いたのは、階段を降り始めた時だった。

  ひそひそひそ。

「ん…?」
 階下から何やら声が聴こえた様な気がして、足を止める。

  ひそひそひそ。

(な、何だ…??)
 眠り損ねた患者が、病室を抜け出して雑談をしているのだろうか。
(だとしたら、注意して病室に戻ってもらわないと)
 ところが。

  ひそひそひそ。

 音源は外待ち合いでもデイルームでもなく。

  ひそひそひそ。

(生化学検査室…?)
 2F、階段正面は生化学検査室。
 患者が勝手に出入り出来る部屋ではない。
(当直の技師さん?)
 だとして、こんな夜中に一体何を話しているのだろう。
 要は、何となく気になって中を覗いてみた。
「あれ? 誰もいない」
 そんな訳は無い。
 現実に、中から声が聴こえている。
「すみませーん、誰かいませんかー?」

  きゃあっ!
 がたっ、ごとん、がたた、だん!

 短い悲鳴と、不穏な物音。
「どうしました!?」
 何か起こったのかと、要は室内に飛び込んだ。
 すると、奥の詰所から二人
「何だ、も〜っ! 遠藤先生だったんですかぁ〜」
 最初に現れたのは5Fの看護師。
 動転したのか、手に点滴棒を握りしめている。
「ホントに出たのかと思ったじゃないですかっ!」
 後に続いた一人は、検査技師。
 涙目になっているその人物は、要と同年の男性である。
「ええ!? 俺が悪いの!?」
 何だか分からないが、怒られてしまった。
「マジでビビったんですよ!」
 技師の顔は、本当に青ざめていた。
「一体二人で何してたんですか、そんなに驚くって…」
 要は思わず溜息を吐いた。
「あら、二人じゃないわよ」
 技師と看護師の後ろから、更にもう一人現れた。
 淡い水色のブラウス上から白衣を羽織った女性だ。
 格好から察するに医師のようだが、要には面識の無い人物だった。
「今、百物語をやってたの」
 彼女がにやりと笑って言った。
「は…!?」
 要の目が点になる。
 後の二人は、少しバツの悪い様子で苦笑いしている。
「夏だもの。定番でしょ?」
 全く悪びれない笑みに、毒気を抜かれる。
「はあ…」
 要するに、怪談が盛り上がってきたところへ声を掛けられ、飛び上がる程驚いたのか。
 この先生の方は全く驚かなかった様子だが。
「せっかくのイベント、邪魔した罰よ。あなたも参加しなさい」
 いつの間に隣に移動していたのやら、要は思い切り背中を叩かれた。
「え!? ええ!?」
 冗談じゃない!   と、抗議するはずだった。
「あ、いいですね! 共犯共犯!」
 それより先に、看護師が便乗してしまった。
(冗談じゃないぞ!?)
 とんでもない!
 しかし、そんな言葉を発する間さえ与えられず、要は生化学検査室の奥の小部屋へと引きずり込まれてしまった。

 蒸し暑い真夏の、ある夜の話である。


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+++ 目 次 +++

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    本編
  1. 嘘の周波数
  2. Ancient times
    夏祭り SS
  3. 抗体反応
    After&sweet cakes SS
  4. 依存症 [連載中]
    番外編
  1. 真実の位相
  2. 二重螺旋
    企画短編
  1. 50000Hit記念
    Stalemate!? SS
    scene.1
    scene.2
    scene.3
    scene.4

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