scene.4 first anniversary
「あっ、やきそば! そういや夕飯食べてない」
七海が夜店の前で立ち止まった。
「あ、じゃあ少し何か腹に入れましょうか。一応ウチに戻ったら、姉貴が何か作ってると思うんですけど」
「え、そうなんだ。じゃあ、早く帰らなきゃ申し訳ないな」
「いや、別に起きて待ってる訳じゃないですから。せっかくです、夜店の方を楽しみましょう」
「いいのか? そんなんで」
「ええ。そこの休憩所にでも座ってて下さいよ。適当に何か買ってきますから」
そう言って要は、小腹を慰めるべく焼き物の夜店を何件か回った。
やきそば。
いかやき。
おでん。
フランクフルト。
「こんなもんかな。あ、後はビールだ」
(あ、そうだ…)
それと
即席ではあるが、この誕生日に華を添えるちょっとしたアイディアが浮かんだ。
そして、10分後。
両手一杯の食べ物を抱え、七海の許へ戻る。
彼は、所在無げに祭りの喧騒をぼんやり眺めていた。
「お待たせしました」
要の声に、弾かれたように振り向く。
「早かったな」
「そうですか? はい、まずビールです」
「サンキュ」
「それと、この辺りは食事で 」
やきそば。いかやき。おでん。フランクフルト。
「うわっ、また、随分たくさん」
「ええ? 多いですか?」
「何人で食べるんだよ」
七海が呆れた顔で笑った。
「えーっと、それから…ですね」
要は、ここで居住まいを正した。
「?? まだ何かあるのか?」
そう。
肝心のメインが。
袂にこっそり隠していたあるものを、そっと差し出した。
「誕生日、おめでとうございます。バースデーケーキは間に合いませんでしたが、どうぞ」
名前入りの鼈甲飴だ。
七海が言うところの厄払いも兼ねた、誕生祝である。
この短時間で、これが要に思いついた精一杯だった。
しかし。
……………………………。
反応が無い。
(しまった。やっぱりいい大人がガキっぽかったかな…)
急に不安になった。
これが、例えば教授みたいな人物なら、小洒落たバーで粋なカクテルに花でも添えたりするのかもしれない。
そして、『正式なプレゼントは日を改めて…』などとスマートに進める場面なのかも…。
(考えたら、飲める店って案だってあったよな…)
今更言っても、それこそ『後の祭り』だが。
「あの…?」
沈黙に耐えかね、要は七海の顔を覗き込んだ。
「いや、その…急だったから 別に、気ぃ遣わなくて良かったのに」
ほとんど独り言のような小さな声で、七海が呟いた。
「でも、せっかくの誕生日ですから」
気を取り直して、そんな言葉を掛ける。
日付の変わる直前とは言え、知ったからには知らない顔など出来ないではないか。
「この歳になると、そうめでたくもないけど」
そう答えた横顔は、よく見れば、耳まで真っ赤っ赤である。
別に、ハズレではなかった様子に内心安堵した。
「本当なら、もうちょっと格好付けたいところなんですけどね」
苦笑いを浮かべて、そんな強がりを返す。
参道はまた、参拝客の無秩序な賑わいに彩られている。
「お前が、小さい祭りだって強調するから、もっとこじんまりしてるのかと思ったら、結構派手じゃないか」
人混みを歩くうちに乱れた浴衣の裾を直し、七海が言った。
「ここらへんは下町で、昔からの人間が土地を離れないんです。だから、小さいなりにも盛り上がるんですよ」
「そうか。 僕の田舎の方は、あまりそういうものは無くてね。
諏訪の御渡りとか、浅間神社とか、観光メインの大きな祭りはあるんだけど…あんまり『地元の』って気分じゃなかったかな」
「へえ…。田舎の方がもっとしっかり根付いてるようなイメージですけどねぇ」
「まあ、どっちかって言うと開拓民の多い地域だからね。意外とそんなもんだよ。
あるものって言ったら、温泉と、日本一高い標高の駅に、天文台 くらいかな」
そう言ってはにかんだその笑みは、存外その『何も無い田舎』を、彼が愛しているのだと示しているようだった。
「温泉はいいですねぇ。こう毎日慌しくしてると、たまにはそういうところでまったりしたいです」
小さな町医者の息子として育った要は、家族旅行に出掛けた記憶がほとんど無い。
医者である父親は勿論、看護師 当時は看護婦 だった母親も、診療所を空にするのを嫌がった。
「何だ、相変わらず言う事がじじむさいなぁ。
…………。
じゃあ、来るか? うちの実家。
温泉ならそこら中にあるし、銭湯くらいの値段だし、宿泊だってうちに泊まればタダだし」
呆れたような声で、でも顔は笑って、七海がさらりとそんな事を言った。
「マジですか!? いいんですか!?」
実家。
その一言に、思わず腰が浮く。
竹で作られた縁台が、ガタンと音を立てた。
実家へ行くという事は、ご両親にご挨拶 とか、『別に今誰もそんな話はしていない!』とツッコミが入りそうな事が一瞬頭を駆け巡った。
「何そんなハネあがってんだ。今日も招待してもらったし、いいよ。温泉くらい」
案の定、相手の方は全く他意の無い様子でおかしそうに笑っている。
(ま、そうだよな。そんなもんだ)
恋人の実家へご挨拶に上がるという、典型的なシチュエーションを思い浮かべてしまった要は、自分で自分に苦笑いするしかなかった。
「…でも、二人揃って泊り掛けで出掛けられるような休暇、くれますかね?」
万年人手不足の現場である。
「あー…まあ、そうだなぁ。正月休みかお盆休み 1週間ずつ貰えるはずだから、その時、お互いの休暇を前後半で半分ずつ被せるとか…かな。
中央道3〜4時間も走れば帰れるところだから、何とかなるだろ。
遠藤は、乗馬やテニスすんのと、スキーとどっちが良い?
冬と夏、どっちにするか、それで変わってくるけど」
「いや、その辺は別にどっちでも…お任せしますけど」
と言うより、そんなものは何も無くても良い。
本当に二人で旅行に行けるなら。
「じゃあ、正月にしようか。今年のお盆休みはもう決まっちゃってるしな」
意外と具体的にプランを立てる横顔は、結構本気のようで、少しこそばゆいような気持ちになってきた。
「あの 」
「何?」
「ホントに?」
思わず確認してしまう。
「まあ、正月休みって言っても、どうせ2月くらいになるんだろうけど」
本当に本気らしい。
「楽しみにしてます。冬休み」
要がそう言うと、七海は『ただの田舎だからな』と、気恥ずかしそうに目を逸らした。
「でも、先の話はまた次という事で 今日は、おめでとうございます」
ふと腕時計に目を落とせば、後3分で日付が変わるところだった。
「だから、そんなめでたいトシじゃないって 」
そう言いながら、頬を朱に染め、七海は要を睨んだ。
そして、ふいっと顔を逸らして、『ありがとう』と、小さく呟いた。
7月29日。
それは、要が七海と出会って、最初の記念日。