Recollection.21 インスタント…コーリング

 20時15分。
 朝、9時から始まった手術が終わって、そのまま当直入り。
 冗談のようだが、本当だ。
 手術に要した時間は、およそ7時間。
 この手合いの手術は平均4、5時間。
 当初予定していたよりも長引いた。
 何故こんな時間がかかったのかと言うと、桜川病院が教育機関たる大学病院であり、そこに、研修医である七海が助手として入っていたからだ。
 今日行われたのは冠動脈バイパス手術だ。
 心臓を包み込むように伸び、心筋内に血液を送る役割をしているのが、3本の冠動脈。
 これが心筋梗塞や狭心症などで病変すると、心筋内に上手く送血が行われない。
 それを解消する為に、この手術は行われるのだが  
(グラフト採取させられるなんて、考えてなかったな)
 病変した冠動脈の血流を正常にする為には、病変箇所を跨ぐように別の血管を繋ぎ、バイパスさせる。
 その為の血管をグラフトと言うのだが、これは患者の身体の中から採取するのだ。
 それを、七海が担当したのである。
(普通、第1助手がやるんじゃないのか…?)
 要するに、七海の研修を中心に進めた手術だった為に、通常以上の時間がかかったという訳だ。
 その状況にはさすがに、肉体的にも精神的にも相当の消耗を強いられた。
 頭の中は、先刻までの手術の事でいっぱいいっぱいだ。
(そんな日に限って、何故か当直だよ…)
 術後の当直は、オペ入りの話が出た時から何となく予想していたが、やはりきつい。
 そんな中、やっと120分の休憩。
 これが終わったら、次は朝の申し送りまで休憩は無い。
「あ、そう言えば  
 別れ際、明人が後で連絡すると言っていたのを思い出した。
(まさか…今日のこと言ってたんじゃ、ないよな…?)
 何となく気になって、ロッカーの中に電源を切ったまま放置している携帯を取り出した。
 コンビニに向かいがてら、留守番電話をチェックする。
 伝言は3件入っていた。
 いずれも、津守明人からだった。
(うわ…冗談だろ…?)
『後でまた掛け直す』としか残っていないので、用件は分からない。
 だが、今夜は何度掛け直してもらっても、この後はもう朝まで繋がらない。
(掛け直すべきか…放っておくか…)
 こんなに優柔不断な人間だっただろうか。
 関わらない方が懸命だと、今朝も考えていたのに。
 七海はいつしか立ち止まっていた。
 そうして、七海が落とした大きなため息を拾うように、携帯が鳴りだした。
「わっ!」
 危うく取り落とすところだ。
(まさか)
 ディスプレイを確認する。
「…明人だ」
 気付いた瞬間には、受話ボタンを押していた。
『やーっと繋がったぁ』
 電話の向こうの相手は、今朝分かれた時のままだ。
「何……?」
『あっ、冷たいなぁ。ま、いいけどさ。今まで残業? 今日も遅いんだなー。ね、晩メシ食いに行かない?』
(……は?)
 一瞬、七海の頭が真っ白になった。
「何言ってんだ。僕はまだ仕事中だよ」
『えーっ!? 朝あの時間に入って、まだ仕事!? それでケータイ繋がらなかったんだぁ。何時まで?』
「明日の朝まで」
『えー!!! 身体壊しちゃうよー? むっちゃくちゃだなぁ…。じゃ、今は休憩?』
「まぁ…」
『んじゃ、メシだけでも食おうよ』
「はぁ? そんな時間ないよ!」
 いくら2時間あっても、明人の家まで行く時間は無い。
 第一、何故行かなければならないのだ。
『今どこ? 病院?』
「どこって…駅前のコンビニに向かってるけど」
『駅前って、桜川駅でしょ? じゃ、めっちゃ近いわ。今からそっち行くから、コンビニの前動かないで』
 は?
 何?
 もはや毎度の事だが、七海の返事も聞かず、明人の一方的な電話が切れた。
「近いって…どこにいるんだ?」
 仕方なく、七海は買い物を終わらせた後もコンビニの前で明人を待った。
 購入品は、ペットボトルのお茶が2本と、某製薬会社の販売しているぺレットタイプのバランス栄養食2箱。
 当直は何が起こるか分からない。
 食事は、手軽に食べられるものに限る。
 そして、先刻の電話から10分、派手な青い車がコンビニの前に停まった。
「おまたせー。さ、乗って乗って!」
 助手席の窓を開け、中から明人が七海を手招きした。
「乗って、…って、僕はどこかの店に入って食事する時間なんて無いぞ」
 窓の側に近付き、改めて断りを入れた。
「病院の近くにいたらいいんでしょ? 車ん中で弁当でも食べたらいいじゃん」
 問答無用。
 そんな四字熟語が七海の前を通り過ぎた。
「ますます時間減るんじゃない? 早く乗れば?」
 更に駄目押し。
(………仕方、ない…か)
 こうして目の前に現れてしまった相手を蹴飛ばす気合いは無かった。
 どの道、何か食べなければならないのは確かである。
 一人で食べようが、二人で食べようが、結果は変わらないはずだ。
 多分。
「僕は、ポケベルが鳴ったら食事中でも戻るけど、それで良ければ」
 何かしらの緊急事態が起これば、休憩中だろうがたちまち呼び出されるのだ。
 それが、外食し辛い  と言うか、出来ない一番の理由だった。
「じゃ、呼び出される前に終わらせよ。ほら、早く」
 明人が助手席のシートを叩いて促した。
 結局、乗ってしまった。
(何やってんだ、全く)
 自己嫌悪に陥らざるを得ない状況である。


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