Recollection.9 銀河通信

 与えられた自室のドアを開ける。
 その部屋は、恭介が使っていた部屋と同じ間取りの、子供部屋向きの8畳間だ。
 風呂は起きてから入ることにして、七海は身につけていた衣服を床に散らかしながら脱ぎ捨てた。
 拾う体力も残っていない。
 妙に疲れる一日だった。
 何とかパジャマを身に付け、ベッドに転がる。
 泥のように疲れているのに、却って目は冴えている。

 恭介の言葉が、妙に耳に残っていた。

『桜川病院にERを創る』

 恭介が教授に就任したら、手掛けようとしている最初の仕事。
 彼ならば、やると言ったからにはやるだろう。
「ER…ねぇ……」
 医療業界全体の流れからすれば、茨の道と言わざるを得ない。
 救急診療の充足は急務のはずだが、現実には多くの病院が救急から手を引き始めている。
 その主な理由として  
 過酷な勤務に人材の確保が困難であること。
 その割に診療報酬を回収できない例も多く、また、医事訴訟に巻き込まれやすいことなどが挙げられる。
 そして、現場に立つものにとって何よりも重要なのは、三次救急患者を受け入れるということは、死に直面している患者を受け入れるということ。
 昔、実習先の救命センターで教官に言われた言葉を、七海は思い出していた。

  三次救急患者の9割は助からない。

「ちょっと、気が滅入りそうだな」
 本当に、自分がそんなものに関わってやっていけるのだろうか。
 恭介のように、どんな波を被っても動じないような力強さがあれば、乗り切っていけるのかもしれないけれど。
(僕は…どうかな)
 恭介は  
 確かに、自分を可愛がってくれているし、買ってくれている。
 しかし、彼のような人間が、何の打算も計算も無しに自分の側に人を置くとは思えない。
 彼が側に置くとしたら、それは自分にとって有用だから。
 彼の青田買いに、果たして自分は応える力があるのだろうか。
 無かったら、どうなるのだろうか。
 冷たい思考が一瞬頭の中で膨らむのを感じた。
 迷っている。
 躊躇っている。
 そんな自分に敢えて蓋をしている。
(眠らないと持たないってのに、そう言う時ほど目が冴えるって、何なんだろうな)
 ベッドの上で寝返りを打った瞬間、七海の携帯の呼び出し音が鳴った。
 個人携帯の方だ。
「こんな時間に、誰だよ」
 研修医仲間の呼び出しではない事を祈りつつ、七海は画面を確認した。
(あれ?)
 未登録の携帯番号が表示されていた。
 しかし、見覚えはある。
「もしもし?」
『無事家帰れた?』
 宇宙人だ。
 いや、違う。
 津守明人だ。
「うん、まあ…。別に、こんな時間珍しくも何とも無いし」
 仕事でも、こんな時間はしょっちゅうである。
『それならいいけどさ。ホラ、俺、大分ムリ言っちゃったじゃん? ちょっと気になっただけなんだけど』
 急に、妙にしおらしくなっている。
「…いや、別に、平気だけど」
 あまりにもしおらしいので、思わず七海は噴き出しそうになった。
 妙に気を遣ったり、やたら強引だったり、掴めない男だ。
 恭介みたいに徹底して強引な人間なら、免疫があるので対処法も分かるのだが、こんな風に強気になったり弱気になったりされたのでは、どんな反応を返してよいのやら戸惑ってしまう。
『ん、それだけなんだ。さっきの件は、おおまかな日にち決まったら、また連絡するから。じゃあ、オヤスミ』
 こちらが挨拶を返す前に、彼は通話を切った。
「何、それ。  ずいぶん一方的な電話だな」
 せめてこっちのオヤスミくらい聞いてから切ればいいのに。
 強引な明人の、意外と小心者的な電話に呆気にとられた七海は、さっきまでの物思いなどすっかり忘れて、そのまま朝まで眠り込んでしまった。

 銀河通信の、思いも寄らない効能と言ったところだっただろうか。


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