Recollection.7 家庭内の諸事情

 明人に見送られ、乗った電車は郊外から都心へ向かう最終電車だった。
 彼の住む町は一応都内だが、中心地からは大分離れている。
 七海が自宅に辿り着いたのは、夜の1時を少し回った頃だった。
「ただいま」
 玄関のドアをあけ、習慣的にその言葉が洩れた。
 この時間だ。
 誰が出迎える訳でもない  
「おかえり」
 はず、だった。
「恭介さん。こっちに帰ってたんだ」
 玄関口に顔を覗かせたのは、七海の母親の従弟。
 渡辺恭介。
 桜川病院第一外科医局長。
 七海にとっては、はとこであり、同時に職場の上司でもある。
「まぁ、久々に家メシが懐かしくなってな」
 恭介は冗談めかして笑った。
 七海は今、彼の実家である渡辺家に居候の身である。
 交通事故で父親を亡くして以後、母親と二人、ずっと世話になり続けてきた。
 大叔父、大叔母はもちろん、一人息子の恭介も、快く迎え入れてくれた。
 それが、七海が14歳の時のことだ。
 母親は何度か独立を考えたようだが、大叔母が余裕の無い環境は子供のためにならない、と、強く説得し、引き留めたようだ。
 結局、幾らか家賃を収めるということで、話はまとまったらしい。
 そして。
 14歳から、ちょうど10年。
 今年、七海が無事大学を卒業したのを見届け、母親だけが父の墓のある長野へ帰った。
 研修を終わらせないと臨床医の資格が取れない七海は、今も尚、渡辺家に居候のままだ。
「そう言いながら恭介さんは、いつも食事の時刻が終わってからしか来ないじゃないか」
 七海は苦笑いした。
 恭介は、かれこれ5年くらい前にマンションを買って、今は一人暮らしをしている。
 たまに、こうして実家へ帰ってくるのだが、夕食の時間に間に合った試しが無い。
「まあまあ。恭介さん、何ですか。玄関先でお行儀の悪い。七ちゃんだって疲れてるんですからね。お話はお部屋でしなさいな」
 大叔母が書斎から出てきた。
 彼女は薬学博士だ。
 おそらく論文を書いていたか、学生のレポートを読んでいたか、どちらかで起きていたのだろう。
「そりゃ気遣いが足りなかったかな。とりあえず中に入ろうか」
 医学書だらけの七海の鞄を、恭介が取り上げた。
「恭介さん、いいよ。重いだろ?」
「お前の鞄が重いのは、半分俺のせいだからな。鞄ぐらい持つさ」
 実は、七海が今関わっている論文は、恭介のものだ。
 研修医の身分では、大した手伝いは出来ないのだが、資料集めや、データ入力、それらを整理したりしている。
 恭介は、今度の教授選に出馬するつもりだ。
「いくら身内だからって、七ちゃんをあまりこき使うんじゃないですよ。七ちゃんだって自分の勉強で忙しいんだから」
 大叔母は、実の息子より、七海に甘い。
 もともと七海と恭介は12歳年が離れている。
 彼女は、七海を孫のような扱いにしているのだ。
 七海も独立を考えないではなかったが、この過保護な大叔母を説き伏せるのは並大抵ではなさそうだ。
「さぁさぁ、中に入りましょ。お茶でも淹れましょうね。七ちゃん、ご飯は食べたの?」
「食べてきたよ」
「そう。それは良かったわ。恭介が臨床へ進んだ時もそうだったけど、お医者さまは時間が不規則で心配ねぇ」
 渡辺家は、大叔父もまた医学博士の称号の持ち主で、この家の中はどこを向いてもセンセイだらけだ。
 研究者の道を歩いてきた両親のもと、長男で一人息子の恭介は、同じ医学でも、何故か一人臨床の道を選んだ。
 大叔父も大叔母も息子の選んだ進路にあれこれ口出しはしなかったが、一度出勤したら半月は帰ってこない息子を、彼女らが心配そうにしていたのを、七海は覚えている。
「母さん、とにかくリビングへ移動しよう」
 つい先刻彼女が言った言葉を、恭介は苦笑まじりに繰り返した。

 この親子のこういう会話は、日常的に見慣れている。
 ようやく七海は宇宙船を降り、普段どおりの生活へ戻ってきたようだ。


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