4.芦ノ湖/お茶処『静』  12月18日 PM0:50

 職場の喧噪から遠く離れ、要と七海は芦ノ湖畔の茶店で一服していた。
 季節柄、人気も疎らで、外も中もひたすら静かだ。
「そう言えば、さっきの電話何だったんですか?」
 要がそれを訊ねたのは、急な呼び出しを警戒したからだった。
 せっかく色々落ち着いたところなのに、ここで呼び出されては堪らない。
 医療者として甚だ不謹慎な考えだとは思うが、正直な気持ちである。
「え? ああ、さっきの? 綿貫からだったんだけど、今日付けで雄介君を退院させるって連絡。
 別に僕が出勤してからでも良いのに。
 転棟したならともかく、退院前診察が人任せってのはちょっとスッキリしないんだよな。
  空床足りないならしょうがないけどさ」
 窓の外を睨み、七海が溜息を吐いた。
「…俺は、別にそれで良かったんじゃないかと思いますけど」
 綿貫の方が専門医なのだし、彼がそう判断したならそれで良いではないか。
 要の声にはそんな心中がそのまま反映していた様だ。
「何でお前がそこで不機嫌になるんだよ?」
 訝しげな顔で七海が要の顔を覗き込んできた。
「別に。何もないです。
 ただ、自分が初療を担当した患者全員の退院診察なんて出来る訳ないですし、綿貫先生が今は主治医ですし、七海さんの気にするところなんてないんじゃないかと思っただけです」
 要自身、自分の言葉に若干険があるのを自覚しつつも止められなかった。
「お前さー、その態度、全然何でもなくないだろ」
 呆れ顔で七海が溜息を吐く。
「止めましょうよ。せっかくこうして息抜きに来てるんですから」
 要としては、どうにか話を逸らしたかった。
 しかし、七海の方は逸らされてやろうとはさらさら思わなかった様だ。
「雄介君か! そうだ、雄介君の話になると妙につっかかるんだ、お前!」
 要のモヤモヤのど真ん中を、七海が思い切り打ち抜く。
「いえ、そんなこたないです、けど…」
 言われた要の方は、バツが悪い顔になる。
「いーや、違わない! ホラ今も顔に書いてるじゃないか」
 左手にお茶請けの菓子を持ったまま、反対の手で七海が要の鼻先に人差し指を突き付ける。
「あの、まあ、その。
 下らない事なんで、流して下さいよ…」
「何で?」
「何でって、だから、何でもないような事なんです!」
 正直、あまり答えたくない。
「ふーん。で、何で?」
 ところが、七海の方は追及の手を緩めない。
 こうなっては、彼の性格からして、頑として引かない。
 答えなければ、このまま休暇が終わるまで睨めっこする羽目になってしまう。
(さすがにそれは勘弁…)
 せっかく仲直りしたのに。
 仕方が無いので  それに下らなすぎて答えたくないだけであって、そもそも隠す程の理由でもないので、渋々ながらに答える事にした。
「笑わないで下さいね。いや、まあ、笑ってもいいですけど…」
「ああ」
「ヤキモチなんです。多分」
 要のその答えに、七海は手の中で玩んでいた菓子を取り落とした。
  何だって?」
 聞き間違いでもしただろうか、と言わんばかりに要に顔を寄せ、七海がもう一度同じ問いを繰り返す。
「ヤキモチ…いや、ヤキモチとはちょっと違うんですが。何かモヤモヤすると言うか…。
 どっちにしても、わざわざ言う程の理由でもないでしょ?」
 嫉妬心によく似た、雄介に纏る正体不明のモヤモヤ。
 モヤモヤはモヤモヤであって、理屈ではない。
 理屈ではない分、余計に七海にそれを上手く伝えられない。
「バカだなー、お前。
 何で患者にヤキモチ焼くんだよ。
 つか、何でそんなとこで公私をごっちゃにするかな」
「だから、ヤキモチでもないんですって!
 まあ…少なくとも、あっちは公私の壁を乗り越えてきそうだ  そんな風に感じているから、かもしれません」
 要がそう応えると、七海が呆れた顔で笑った。
「バーカ。所詮僕らみたいな人種は少数民族なんだぞ?
 別に誰でも良い訳で無し、少ない中から更に絞られるんだぞ?
 そんな冗談みたいな確率、そう無いって。
 お前さ、いきなりアナザーワールドに来ちゃって、視野狭窄になってんじゃないか?」
 畳み掛ける様に反論された上、一笑に付されると言う、訳の分からない対応をされてしまった。
「そうは言いますが、ゼロじゃないでしょ」
 病室で何度か会話を交わしただけだが、その度に感じさせられた焦燥にも似た嫌な雰囲気を思い出す。
「まあ、そりゃゼロじゃないけど。
 心配しなくても、僕はそんなモテないよ」
 話にならないとばかりに、七海は手をひらひらと振った。
 いや、本人に自覚は無いかもしれないが、他部署のスタッフには意外と人気があるのを要は知っている。
 彼を目当てにする人間の9割以上が、彼の視野に入っていないだけだ。
 いやいや、そんな事より  
「そもそも、モテるかモテないかが論点じゃないですよ」
 争点は雄介一人なのだから。
 引かない要に、七海は深々と溜息を吐いた。
「じゃあ、お前でも納得しやすい様に言い方を変えてやる。
 元から僕はこちら側の人間だから、同類なら何となく分かる。  雄介君は違う」
「………」
 納得いかない。
「何だよ、そのイマイチな反応は」
 要の反応に、七海がややうんざりした顔をしている。
「俺が言いたいのは、執着って言うのは必ずしも恋愛感情とは限らないって事です」
 心配しているのは、雄介の持つの不安定な執着心そのものだ。
「まあ、何にしても僕はそこまで人間的魅力に溢れてないから。しつこいよ、お前。
 大体さぁ、僕が裏で何て言われてるか知ってるだろ?」
 指導が厳しい事で有名な七海の渾名は『鬼軍曹』。
 風貌に似合わない事この上ないが、事実、彼は医学生や研修医たちにそう呼ばれ、恐れられている。
 しかし一方で、以前実習生に質問攻めを喰らっていた時には、自宅に押し掛けられても断れずに質問や相談に延々つきあってやったりもしていた。
 基本的に彼が自覚しているよりも遥かに面倒見の良い性格なのだと思う。
 だからこそ、心配なのである。
「こう言ったらなんですけど、押されたら結構弱いとこありますよ、七海さんて」
 自分でも驚く程の、不満声が要の口から洩れた。
「そんな事は無い。  と、思う。…けど」
 本人も少しは自覚があるのらしく、否定する声の語尾が弱い。
「そんなことあるんですよ! 強引に来られると、結構押し切られちまうでしょ?
 頑固なクセに妙に押しに弱いんですよ、アンタ。だから、心配してるんです!
 ついでに、余計なヤキモチまで焼いてるんです!」
「…それは、ごめん」
 色々と思い当たる節があったのか、七海はいつも程言い返してこなかった。
「…俺には、雄介君が七海さんに恋愛感情があるかどうかなんて分かりません。
 けど、少なくとも医師とか患者とかの枠を越えた部分で頼ってきているのは確かだと思います」
「それは  どうかな…」
「頼られると、無碍に断れないでしょ?」
「……まあ…うん」
 信じられない事に、七海が理屈で押されている。
 普段なら、説き伏せられるのは要の方なのに。
「やけに、素直ですね?」
 さっきから、説くのはひたすら自分ばかりで、七海がすっかり反論を止めてしまっている事に気付く。
「僕は、本当に何もないと思ってるんだけど  
 お前って、本当に心配性だなと思ってさ」
 そう言った七海の顔には、呆れた様な、困った様な曖昧な微笑が浮かんでいた。
「大事だと思えばこその心配なんですが」
 分かっているのだろうか。
「そっか、そうだよな。そっか」
「そうですよ。  って、何笑ってんです?」
「いや、ちょっと嬉しいかな。  とか思ってしまった」
 対して、七海から返ってきた答えがまた、全くの想定外。
「はい  ??」
 何を言い出すんだ、この人は。
「ハッキリ言って、過剰反応だなと思うし。
 僕は、保護してもらわなきゃならない子供ではないし。
 そこで、ちょっと喜んでる自分が不謹慎だなとも思うし」
「不謹慎  ですか?」
 何が。
「何の条件も無しに心配されてる自分に、ちょっと喜んでたりして  って、何言ってるんだ、僕は。今のナシ!」
 そこまで言っておきながら、七海は慌てた様子で自分の言葉を打ち消した。
 掌で自分の顔を扇ぐ様な仕草をしながら、ふい、と要から顔を逸らし、更に要に念を押す。
「悪い、やっぱりどう考えても不謹慎だ。今のナシ! 忘れろ!」
 彼は殊更憮然として見せたが、もう遅い。
 しっかり聞いてしまった。
「俺も不謹慎かもしれませんが、無理です」
 要がそう答えると、七海は頭を抱えて台に伏した。
「これだから、旅行とかダメなんだ。つい油断する…」
「俺は、逆にその方が嬉しいですけど。
 普段からもう少し油断して下さいよ。出来れば俺限定で」
「…それ以上言ったら、殴るぞ」
 声を低く殺して凄んでいるのに、覗き見える耳が赤く染まっていて迫力が無い。
(可愛過ぎる)
 しかし、そんな事を口に出そうものなら、殴られるどころか旅行自体切り上げになってしまいそうなので、言わない。
 その時、七海の旋毛を眺めていた要は、ちょっとした悪戯を思いついた。
「あ、七海さん。そんな格好してるから店の人がおかしな顔して見てますよ」
 勿論、嘘である。
 他に客の居ない店内、店員は皆奥に引っ込んだままだ。
「えっ?」
 しかし、その一言に虚を突かれた七海が、ぱっと顔を上げた。
 その顔を捉まえて、素早く頬にキスをする。
「……!」
 虚を突かれた七海の顔が一瞬で固まり、次の瞬間、要は思い切り頭を叩かれていた。
「バカかっ!」
 その声に、今度こそ暖簾の奥から店員がこちらに顔を覗かせた。
「七海さん、しーっ! 本当に店員さん出てきましたよ!」
「知るかっ! 信じられないヤツだなっ!」
「前に、七海さんも俺にやった事あるじゃないですか」
 付き合い始めて間もない頃、似た様な事を要もされた事があるのだ。
 しかも、こんなシーズンオフの観光地ではなく、街中の博物館でである。
「それを言われると…」
 彼もまた、言葉が無い様だ。
「こういうのも、旅行ならではの開放感ですかね」
 七海の抗議をそこそこに受け流した要は、このところすっかり縮こまっていた背筋を思い切り伸ばした。

 窓の外に目を遣れば、凍結した湖面。

 薄ら積もる雪に乱反射する陽の光。

 誰にも干渉されない時間。

 何て心地好いのだろう。

 ここだけ、今だけ、まるで時間の流れ方が違う様だ。

 しかし、まだ一つ、七海に話していない大事な話が残っている。
 この旅行の間に話す機会はあるだろうか。
 或いは、未だ少し時間が必要なのかもしれない。

 こうして、旅行の中日は緩やかに過ぎていった。


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+++ 目 次 +++

Scene.5 幻 覚 肥 大

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+++ 目次 +++ 

    本編
  1. 嘘の周波数
  2. Ancient times
    夏祭り SS
  3. 抗体反応
    After&sweet cakes SS
  4. 依存症 [連載中]
  5. 依存症 [連載中]
    ⅰ自殺企図
    渡辺教授
    空想科学
    疑似科学
    ⅴ幻覚肥大
    scene.1
    scene.2
    scene.3
    scene.4
    scene.5
    共鳴振動 NEW!
    番外編
  1. 真実の位相
  2. 二重螺旋
    企画短編
  1. 50000Hit記念
    Stalemate!? [完結]

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