3.温泉旅館『秀のか』/離れ  12月18日 AM10:00

 和食中心の朝食が、疲れた身体に優しく染み渡る。
 時間が経つに連れ、七海の身体から怠さは幾分かマシになり、徐々に脚の力も入るようになってきた。
 部屋の中はひたすら静かで、しかし自室の様な殺伐とした静かさとは違っていて、ほんのりと暖かい。
 それは、遠藤の纏っている空気とよく似ている。
 ちょうど、春先の陽だまりのような暖かさだ。
「七海さん、さっきから何人の顔見て笑ってんですか」
 不思議そうに彼が七海の顔を見つめ返してきた。
「何でもないよ」
 まだ理由は教えてやらない。
 心の中で膨らむ小さな太陽を、今少しの間、一人で楽しみたいのだ。
「あのですね、そう見られてると照れくさいと言うか、気恥ずかしいと言うか、……居心地悪いんですが」
 困惑している相手の顔を眺めるのも、これまた楽しい。
「僕の自由だろ」
「何なんですか、一体」
 堪りかねたのか、遠藤が七海の視線から逃れようと顔を背ける。
 その横顔を、更に見つめてみる。
「すみません、勘弁して下さい!
 何て言うか、もう、恥ずかしくてしょうがないです!」
 堪え兼ねた遠藤が、降参と言わんばかりに掌で顔を隠した。

  これは面白い。

 七海の中の七海に、黒い尻尾が生える。
 勿論、先っぽが矢印になっているヤツだ。
「何だよ、普段もっと恥ずかしいことばっか言ってるクセに」
 卓の向かい側  相手の座っている方へ回り込んで悪戯満載の顔で、真っ赤な顔を覗き込む。
「そ、そうなんですが  
 そうだ! そうですよ! 恥ずかしいのは俺の担当です!
 取らないで下さい!!
   て、アレ?
 何言ってんですかね、俺?」
「全くだ。何言ってんの、お前」
 苦し紛れに飛び出したであろう、この一言に七海は思わず失笑。
「まあいいや。この辺で許しといてやるよ。
 あー、面白かった」
 恋人の狼狽えている姿は可愛くて仕方が無いが、これ以上やると気の毒なのでこの辺りで引いてやろう。
「ホントに、七海さんらしくないですよ…」
 遠藤が、火照った頬を掌で擦りながら溜息を吐いた。
「はしゃいでるんだよ、僕も」
 七海がそう応えると、遠藤は不思議そうな顔をした。
 仕方ない。
 そろそろ理由を説明してやるか。
「こういうの、初めてなんだ」
「は…?」
 何が? と言わんばかりに遠藤は首を捻っている。
 ほんの一年前まで、誰かと未来を歩く姿など想像もしなかった。
 七海にとっての恋愛と言うのは、いつも三日麻疹のようなもので、微熱に浮かされている間に終わる  刹那的なものでしかなかった。
 自分の背中を預けたり、誰かの背中を預かったり、そんな関係など皆無に等しい。
 到底、未来など見えない。
「僕らみたいなのは少数民族みたいなものだからかな。
 同類にはお互い割りと敏感で、何となくその時その場の相手って言うのは現れるんだけど、まあ、あまり長続きはしなくてさ。
 埋まらないパズルのピースと、似た形の何かを無理矢理埋めている様な関係でしかなくて、相手の家族のこととか、仕事のこととか考えれば考える程、面倒で  
 いや、面倒と言うのは違う。
 しかし、相応しい言葉が見つからない。
「違いますよね」
 不意に、遠藤が口を開いた。
「え?」
「自分が面倒なんじゃなくて、相手に面倒になられるのが嫌なんですよね」
 驚いた。
 その一言は、上手く言葉にならなかった何かを見事に言い当てていた。

     そうだ。

 面倒なのではなかった。
 面倒に思われない様に自分を作っているうちに、疲れてしまうのだ。
「そんなことに、何で気が付かなかったんだろう」
 そう呟いた七海に、遠藤が答えた。
「自分のことは気付かないもんですね。俺も、今気付きました」
「遠藤?」
「俺も同じです。
 余裕の無い自分を悟られたくない。
 ガキっぽいと思われたくない。
 面倒な男だと思われたくない。
 だから、いつも相手に選択を譲って。
  結果、素っ気ないだの、冷たいだのってフラれるんですよ、俺」
 苦笑する遠藤の顔が、普段より大人びて見えた。
(うん…?)
 ふと頭を過る単語。

     冷たい。

 そのフレーズには、憶えがある。
「…もしかして、お前…、あれ、気にしてた?」
 医局での雑談。
 田島女史の発言に端を発した崎谷の他愛のない質問。
”恋人はどんなヒトですか?”
 その時、七海はつい『冷たい』と答えてしまったのだ。
「まあ、それなりには…気にしました」
「それは…ゴメン」
 あまりにも譲られ過ぎるのが、逆に淡白に感じ、それに少なからず腹を立てていて、そこからつい口走ってしまったのだが   
 思いの外、傷つけてしまっていたようだ。
 さっきの彼自身の言の通りという訳である。
「今回旅行に行こうなんて言われた時は完全に『フラれる!』ってビビってましたからね」
「僕は逆に自分がフラれると思ってたよ」
「………」
「………」

 二人顔を見合わせ、込み上げる笑い。

「意外と、似た者同士なんですね、俺達」
「らしいな。正反対だと思ってたんだけど…っ」
 一度火が着くと、その後は二人で腹が捩れる程笑い続けた。
 こんなことは、久しぶりだ。
 ひとしきり笑い転げた後、七海はすっかり横に置いたまま忘れていた大事な言葉を引き戻した。
「さっきの続きだけど、未来の話をしたのなんて、遠藤が初めてなんだ」
「え…?」
「ケジメがどうのこうの、今時古風なこと言うよな、お前って」
「古くさくて、すみません。
 でも、俺はそういう風にしか出来ないっていうか  
 恥ずかしそうに、遠藤は頭を掻いている。
「お前はいい加減なことを言う人間じゃないから、少なくとも本気で言ってくれてるのが分かる。
 それが、僕は嬉しい。
 だから、そのままの遠藤が  とても好きだ」
 未来のことなど、どれだけ口約束を重ねても確定される訳ではない。
 けれども、七海は初めて先へ伸びる道を見た。
 だからこそ、たまにはそんなことを素直に伝えてみたくなった。
 目の前では、普段とすっかり立場が逆転してしまった遠藤が、再び顔を真っ赤にして戸惑っている。
 春の風に、陽の光に、蕾がゆっくり膨らむ様な心地好さ。
 それ自体が幻覚で、七海は酔っているだけなのかもしれない。
 それでも、蕾は膨らみ続ける。
 夢と現の狭間で心地好く揺れながら、膨らみ続けるのだ。

 遅めの朝食を終えた二人は、遠藤の提案により芦ノ湖まで足を伸ばしていた。
「せっかくですから、ちょっとくらいは観光しないと!」
 こういうところが若いなぁ、と七海などは思ってしまう。
 これが自分一人であれば、おそらくチェックアウトするまで旅館から一歩も出ずに終わるだろう。
「七海さん、あそこに貸しボートの看板がありますよ!」
 要の指し示す方向に、錆の浮いた大きな看板が見えた。
 この真冬にボート? と思いつつも小屋から乗り場へ視線を移す。
 一瞬、七海の脳は思考停止に陥った。
「……僕は乗らないからな。一人で乗れよ」
「何でですかー!?」
 さも残念そうに遠藤が抗議の声を上げる。
「お前、乗り場をちゃんと見てから言ってるのか?」
 七海はこめかみがぴりぴり痛むのを感じた。
「はっ? 乗り場ですか?」
 どうやらこの男、ボートそのものを全く見ていない様子である。
「あれに男二人で  いや、例えお前が女でも僕は御免被る」
「ええー?   うわっ!!」
 どうやら看板に気を取られて肝心のボートの正体を全く確認していなかったようだ。
 白鳥の形をした足漕ぎのボート。
 それは観光地になっている湖ではよく見かけるシロモノである。
 実際に乗っているカップルを見た事は無いが。
「乗りたきゃ一人で乗れよ?  僕は、絶対、乗 ら な い か ら な !」
 大事な事なので、もう一回言っておいた。
「幾ら俺でも、あれはちょっと  
 目に見えて遠藤が肩を落としたのは七海が強く拒否したからなのか、ボートの正体に対してなのか、定かではない。
「ほら、あっちにお茶処があるぞ。とりあえずあったかい飲み物でも飲みにいこう」
 すっかりしょぼくれた背中を、七海はバシバシと叩いた。
 湖を囲む樹々は雪に彩られ、その無数の結晶に陽の光が乱反射している。
 それは現実を忘れる程美しい光景だったが、それ以上に身体が冷えてきた。
「そうですね! お茶にしましょうか」
 立ち直りの早い恋人は、七海より早く歩き出した。
 思わず、七海の口から苦笑いが洩れる。
 七海は、先を歩く遠藤の自分のものより少し大きい足跡の上に自分の足跡を重ねた。
(む。やっぱコイツの方が歩幅大きいな)
 スキップみたいな足取りになってしまうので、七海はすぐにそれを止めた。
 その時、七海の携帯が鳴り始めた。
 一瞬、無視してしまおうかと思ったが、病院からだと拙い。
 諦めてコートのポケットから携帯を取り出した。
 着信画面に表示された名前は綿貫だった。
 彼は今日は古賀の為に病院に来てくれているはずだ。
 まだ仕事中の時間のはずだが、どうかしたのだろうか。
 足を止め、七海は通話ボタンを押した。
「もしもし? どうした?」
『綿貫です。今日、雄介君を退院させようと思います。
 彼の主治医は七海先輩なので、休日に申し訳ないのですが了承を頂きたいと連絡を  
「僕が出勤してからじゃダメなのか?」
 一応主治医としては、退院前診察をしておきたい。
『どのみち今後の治療はメンタル領域ですし、ERとしても空床作りたいでしょう。
 退院前診察は小田切先生が代診して下さるので、心配しなくても大丈夫ですよ?」
 そう言われてしまうと、七海も言い返す言葉が無くなってしまった。
「…まあ、どっちかって言うとお前の専門だもんな。分かった。任せる」
『ありがとうございます。
 それでは、良い休日を』
 綿貫が通話を切った。
 少々釈然としない感は否めないが、退院後は彼が主治医だ。
 その本人の判断なのだから、何か理由があるのだろう。
 ふと顔を上げると、遠藤はもう茶店に辿り着いていた。
「七海さーん! 何してんですかー?」
 早く、早くと、彼が大きく手招きをする。
(そうだ。今は旅行を目一杯楽しまなきゃ)
 緊急事態が起こらない限り、このプライベートタイムを満喫する事に努めよう。

 初めて見る、未来へ拡がってゆく幻覚に思い切り身を委ねるのだ。
 そして、それが現実の未来へリンクする事をただひたすら願うのだ。
 それほどに手放しで自分を預けられるパートナーとの出会いを、今はただ感謝し歓喜しよう。

「今行く!」

 七海は遠藤の大きな手が招く方へ、駆け足で向かった。


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+++ 目 次 +++

Scene.5 幻 覚 肥 大

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+++ 目次 +++ 

    本編
  1. 嘘の周波数
  2. Ancient times
    夏祭り SS
  3. 抗体反応
    After&sweet cakes SS
  4. 依存症 [連載中]
  5. 依存症 [連載中]
    ⅰ自殺企図
    渡辺教授
    空想科学
    疑似科学
    ⅴ幻覚肥大
    scene.1
    scene.2
    scene.3
    scene.4
    scene.5
    共鳴振動 NEW!
    番外編
  1. 真実の位相
  2. 二重螺旋
    企画短編
  1. 50000Hit記念
    Stalemate!? [完結]

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