3.奥湯河原/温泉旅館『秀のか』  12月17日 PM9:10

 予想より早く目的地に到着出来た。
 月明かりに青く照らされた山間の旅館。
「ようこそおいで下さいました。
 先ほどご連絡頂きました、遠藤様、常盤木様でござますね」
 出迎えてくれたのは、女将と、二人の仲居。
「お荷物をお預かり致します」
 仲居の一人が、七海と要から手荷物を受け取る。
「ご案内致します」
 山茶花の花を雪が飾る庭を眺めながら、客室への渡り廊下をゆく。
 長い廊下の先、丸い灯りに照らされ、ほわんと浮かび上がる唐戸が幻想的で、俗世を忘れてしまいそうだ。
 そこは、夜だからと言うだけではなく、とても閑かな空間だった。
「当旅館の離れ、翡翠でございます」
 一枚目の戸が開く。
 まずは三和土、そして上がり框が目に入った。
 通された客室は純和室。
 仲居は、宿泊に関する簡単な説明を始めた。
 そこへ、歓迎のお茶とお菓子が添えられる。
 仲居が去った後、二人は、とりあえず用意してもらったお茶で一服することにした。
「うまく旅館が見つかって運が良かったなー。しかも、キャンセルの客が連泊で予約してくれてたおかげで、二泊できるし」
 お茶請けを口に運びながら、七海は上機嫌だ。
 確かに、到着時間がこの通り遅かったので、朝早々に追い出されないで済むのはありがたい。
 しっかり二泊してしまうと、復路が相当強行軍になってしまうのは避けられないのはさておくとして。
「七海さんの強運には脱帽しますよ、ホントに」
 本当に彼は色々と運が強い。
 例えば  
 商店街の福引きでポータブルゲームを引き当てる。
(本人はゲームしないけど)
 サッカーの観戦チケットが、七海の名前で当たった。
(看護師さんに名前貸しただけだけど)
 七海の当直日は患者が5割増。
(しかも、ヤバめの患者ばっかり)
 たまのオフでデートしてると、緊急事態を引き当てる。
(まさか、今回も!? いや、そんなバカな)
 とにかく、彼の引きの強さときたら話題が尽きないのだ。
「さっきから何百面相してるんだ、お前」
 気付いたら、七海が訝し気な顔で要の顔を覗き込んでいた。
「いえ、良かったですねぇ。理想通りじゃないですか」
 危ないところである。
 ここで七海に要の心中  特に後半部分  を見抜かれた日には、ヘソを曲げられ、この先の旅程が散々な結果になりかねない。
「人徳って言うんだよ、こういうのは。
 内風呂もあるし、外には露天風呂だけじゃなくて、足湯も付いてる。
 おまけにこの旅館、客室は離れ二部屋だけらしいし、気兼ねなくのんびり出来るぞー。
 良かったな、遠藤」
 鼻歌の一つでも聴こえてきそうな程、語尾が弾んでいる七海。
(人徳っつーより、悪運…)
 少々疑問は残るが、せっかくの上機嫌にわざわざ水を差す必要も無し、ここは沈黙を決め込んだ要だった。
 それよりも、七海のテンションが上がりすぎて却って怖いと思うのは、要の苦労性が蒲鉾板に貼り付いてしまったからだろうか。
(何も起こらなきゃいいけど)
 そんなことを考えながら、温み始めた残りのお茶を一息に飲み干した。
「失礼致します」
 そこへ、女将が部屋を訪れた。
 華美に過ぎず、地味にならず、粋に着物を着こなしている姿はさすがの貫禄だ。
「『秀のか』へようこそおいで下さいました。当旅館の女将でございます」
 館内のご案内と近隣の観光マップに、女将の名刺が添えられたものが手渡される。
 その後、女将は軽い夜食を勧めてくれたのだが、疲れの方が先にきていて、これは丁重に辞退させて頂いた。
「それでは、朝食は九時にご用意させて頂きます。ごゆっくりお休み下さいませ」
 遅い目の時間である事を考慮しているのだろう、女将は短めの挨拶で退室した。
 たった今『ご案内』片手に室内外を確かめている。
「こっちが内風呂か…結構広いな、露天風呂と同じくらいの広さがある。じゃあ、ここが『貴賓室』で  遠藤の後ろの部屋が、『寝室』…」
 ひょいっと要の背後に回った七海が、やや勢いを付けて襖を開いた。
「………」
 ぴた。
 どうしたことか、急に静かになった七海。
「どうかしたんですか?」
 それまでが子供の様にはしゃいでいただけに、気になる。
「寝室に何か?  
 要は、凝固している七海の脚の後ろを覗き見た。
 チェックインの時間が遅いだけに、すっかり床の準備も整えられていて  
 整えられていて。
(整…うわぁ……)
 ぴったりくっついた二組の布団。
「何でまた、新婚仕様…」
 七海同様、要も凝固。
「もしかして、僕の名前で取ったからかな」
 やっと金縛りの解けた七海が、ぽんと手を打つ。
「え?」
「ナナミだから」
「はあ?」
「僕の名前、時々女性と間違えられるんだ」
「あー、確かに音だけ聴けば…」
 それで、旅館側は男が彼女の名前で予約を取ったと考えて、部屋を準備した。
 ところが、到着した客は二人とも男だった。
 タイミング的に直す時間もなかったのだろう。
「それは…さぞかし動揺したでしょうねぇ」
 先ほどの、落ち着いた雰囲気の女将の顔を思い出しながら、要は苦笑いした。
「多分ね。顔に出さないのは、さすが向こうもプロだな」
 そう言いながら、七海はそろそろと襖を閉じようとしていた。
「あ。でも、半分は間違ってないですよね。カップルには違いないんですから」
 その手を留めて、寝室側  布団の上に引き倒してみる。
「気が早い!」
 戸惑った様な、照れている様な、そんな顔で七海は枕を掴み、要の顔面にぶつけてきた。
「気が早いって、何なんですかー」
 情けない声で抗議する要。
 その鼻先を、七海にぎゅっと摘まれる。
「ここで問題です。こういう旅館へ来たらまず何をするでしょうか?」
「ぁんれふは?」
 正確には、『何ですか?』と言いたかったのだが、失敗。
「じゃ、ヒント。
 まず、僕は病院からそのまま来てる。
 そこで肝心なところな。ここって、何旅館?」
 摘まれていた鼻が、思い切り引っ張られる。
「ぃでっ! …え、ああ、温泉?」
「分かったら、そのデカイ図体退けろ」
 その言葉とともに、思い切り押しのけられた。
「さーて、浴衣、浴衣っと」
(俺より風呂優先!?)
 と、言う切なさを感じないではなかったが、日常の私生活の中ではまず見られない俊敏さで浴場へ跳ねて行く姿を目の当たりにすると  
(しょうがねーな、こりゃ…)
 としか、言いようが無くなった。
 とにかく相手がはしゃいでしまっているのだから、どうしようもない。
「遠藤」
 不意に七海が振り返った。
「は、はいっ!?   っと!」
 同時に、浴衣が一式飛んで来た。
「何だ、入らないのか?」
 動かない要に、七海が怪訝そうに言った。
「いえ、入りますけど」
 七海が先にいそいそと浴場へ向かったので、先を譲ろうとしたのだが  
「一緒に入ればいいだろ、貸し切りなんだし」
「え、いいんですか?」
「お前、時々妙な遠慮するね」
 七海が深々と溜息を吐く。
「いや、遠慮と言うか…」
 語尾が口の中で濁る。
 たった今、思い切り拒否られたので、とはさすがに言えない。
 それに気付いた七海が、苦笑いを浮かべた。
「さっきのは別に、ヤダとかそういうんじゃないって。
 …って言っても、この間のことがあるから説得力ないかもしれないけどな」
 七海の切り出した言葉に、心臓が跳ねた。
 身体が合わなかった。
(そうなんだよな…あれ以上気まずくなるとマズイって、話題に出せなかったけど)
 その夜以来、要が少し怯んでいるのは確かだった。
 そして、今日ならその事に触れずに元に戻れるのではないか  などと言う、どこか急いた気持ちがあったのも。
(そうか、俺  
 別れ話が飛び出したりしないだろうか、と。
 そうなってしまう前に、うやむやにしてしまいたい、と。
(卑怯な事、考えたんだ)
 そういう自分を、自覚してしまった。
 気付いてしまった途端、身体が動かなくなった。
「何て顔してんだ。ほら、来いって」
 すぐ傍まで戻って来た七海が、要の頭を撫でる。
「…いや、その…」
 どうしたら良いのだろう。
「ん?」
 膝を屈めた七海に、顔を覗き込まれた。
「少し、泣きそうです」
 だから、今、顔を見られるのは少し困る。
「僕もだよ」
「え?」
「もしかしたら、今日が最後かもしれない。
 明日は来ないかもしれない。
 いつも、どっか怯えてる」
「七海さんが、そんな気持ちになる必要は…」
「僕は、とても卑怯だからな。
 遠藤の正直なところとか、誠実なところとか、そういうとこにつけ込んでるんだよ」
「そんなことないですよ」
 予想外に飛び出した言葉を、要は即座に否定する。
「まあ、そういう答えが返ってくるだろうな、と思ってた。
 今までもそうだったし、このままだったら、多分この先もお前はそうなんだろうな。
 お前のそういうところにつけ込んで僕は、大事な事を誤摩化して、流して、ここまで来たけど  
 でも、もう、それじゃ駄目なんだ。このままじゃ駄目になる。
 今日はさ、そんな話に少しだけ付き合ってくれないかな」
 そう言って、屈んだままの七海が、要の左腕を軽く引っ張る。
 そして、微笑った。

 窓から薄ら覗く、湯けむり。
 積もる雪の白。
 彩りを添える山茶花の紅。

 七海が、もう一度要の手を引いた。


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Scene.4 疑 似 科 学

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