4.桜川病院救命救急部/詰所  12月17日 PM1:00

 3人での昼食は、合流した15分後に七海のPHSが鳴った事で早々に中断した。
 それからすぐ後、集めた資料を手に綿貫も帰った。
 要は、荷物を取りにとりあえず医局へ戻る事にした。
 その途中、救急病棟を通りがかったのだが、ナースステーションが妙に騒がしい。
「あ、遠藤先生」
 看護師が要の姿に気付いた。
「どうしたんですか?」
 ひょい、と覗き込んでみると、騒ぎの中心は古賀雄介だった。
「だーかーら、ドクター呼んでってば」
 口唇を尖らせて、看護師に詰め寄っている。
「雄介君? どうした?」
「あ…何だ、あんたの方か」
 振り返った雄介は、目に見えて不服そうな顔をした。
「何だ、って何? 誰に用事があるんだ?」
「もう片方のドクター。何? いねぇの?」
「常盤木先生の事か?」
「ときわぎって言うの?
 本、返そうと思ってさ。
 もう、読み終わったから」
 そう言って雄介は、少し黄ばんだ紙の文庫本を取り出してみせた。
 それは、七海が雄介に貸したものだった。
「もう読み終わったのか。早いなぁ」
 そう厚い本ではないが、半日もかからず読み終わるとはかなりの集中力だ。
「速読は割と得意なんだ。それで、その  常盤木先生は?」
 雄介が要の後ろを覗き込む。
「今、処置中なんだ。俺で良ければ預かろうか?」
「あ…そうなんだ。
 ま、いいや。
 それじゃあ、また次に返すよ。
 せっかくだから、礼も言いたいしさ」
 その態度は、これまでと違って随分殊勝だ。
(こいつが、礼ときたか)
「じゃ、病室帰ろっかな。
 どっちみち、あんたには用事無いし」
 前言撤回。
 どこが殊勝なものか。
 あっさり病室に引き上げていく雄介の背中を睨んでみる。
「随分、常盤木先生に懐きましたねぇ」
 看護師が笑った。
「懐く?」
 小さな子供を対象にしているかの様な表現に、思わず返す言葉が無くなった。
(おいおい、相手は高校生の男子だぞ?)
 しかし彼女の方は、そんな事はまるで気にならないようで、更に喋り続ける。
「そんな感じしません?
 常盤木先生の方も、いつもより気に掛けてるみたいですし」
 スタッフにとっては鬼軍曹。
 珍しい、と言いたいらしい。
「そう  ですよね」
 やはり、自分以外にもそう感じているスタッフがいるのか。
 相槌は打ちつつ、心中は少し複雑だ。
 何故ならそれは、いつもの七海らしくない。
 もともと救急医と言うのは、医師の中でも特に患者に深入りしない傾向が強い。
 その中でも、七海は特にそうだ。
 それが、今回に限っては随分気に掛けているように思う。
「そう言えば、遠藤先生は今日当直明けじゃなかったですか?
 今更ですけど、もうお昼超えてますよ?」
「さっきまで綿貫先生と一緒に昼飯食いに行ってたんですよ」
「えー、そうなんですか? いいなー。遠藤先生」
 急に彼女の口調が変わった。
「あ、精神科に興味あるんですか?」
 要がそう問い返すと、彼女が堪えかねた顔で吹き出した。
「違いますよ〜っ!
 そうじゃなくて、綺麗じゃないですか、綿貫先生! それに、すっごく優しいし!」
「へっ?」
 何だ、その理由。
「ER、怖い先生が多いですからね〜。
 常盤木先生だって、もうちょっと短気じゃなかったらいい感じなのにな」
 それは同感。
 仕事中は厳しい事この上ない  だけではなく、気の短い事この上ない七海。
「それで、遠藤先生は残業ですか?」
 くるっと向き直り、彼女が要の顔をじっと見る。
 今度は、いきなり自分の話題が振られ、要は面食らってしまった。
(姉ちゃんもそうだけど…)
 どうして女性と言うのはこうも話題がくるくる変わるのだろう。
「医局に荷物を置きっぱなしだったんで、取りに来たんすよ。
 綿貫先生の問診の後、そのまま食堂行っちゃったんで」
 要は苦笑いで頭を掻いた。
「そうだったんですか!
 引き止めちゃったみたいで、すみません」
 恐縮した顔で、看護師が頭を下げた。
「いや、勝手に立ち止まったの、俺だから気にしないで。
 それじゃあ俺は帰りますね。お先に失礼します」
「お疲れさまでした〜!」
 看護師の元気な挨拶を背中に受けながら、要は詰め所を後にした。

 医局にはまだ誰も戻っていなかった。
 静かな室内。
 空調のファンの音が、微かに聴こえるだけ。
(ここまで静かな医局も珍しいな)
 要は机の上に散らかしたままの書類と、筆記具を纏める。
「この辺のデータはUSBに落として、と…」
 パソコンの中のデータから、必要な項目を抜き出した。
(あ、そうだ)
 ついでにメモ帳を立ち上げ、ある単語を入力する。

『アディクション』

 綿貫が発した言葉だ。
(これも、調べてみよう…)
 七海と雄介に関係するもの  らしい。
「あれ? まだ帰ってなかったのか?」
 突然ドアが開いた。
 入ってきたのは七海だ。
「うわっ!」
 驚いて、手の中のフラッシュメモリを取り落とす。
「な、何だよ。そんな驚かなくても」
 狼狽えた様子の要に、七海が目を丸くしている。
「す、すみません。
 七海さんだけですか?」
 見たところ、彼の後ろには誰も続いてきていない。
「ああ。医局長は会議。他の連中は休憩に行った。
 僕は術衣に血が付いたから交換に戻ってきただけだ」
 言われて視線を遣ると、七海の術衣の袖に血痕があった。
「じゃあ、今は一人ですよね?」
「まあな。当分誰もここには戻らないんじゃないかな?」
 汚れた術衣を脱ごうとしている七海の手を留め、棚の影に引き寄せる。
 そして、ぎゅっと抱きしめてみる。
「何だよ、一体? あ、こらくっつくな! 血が付いてるんだから!」
 七海が身を捩って要の腕を外そうとする。
 血液汚染を気にしているらしい。
「ちょっと、甘えてみたくなったんです」
「甘…お前、ばかかっ」
 時と場所を考えろ、と抗議する七海だが、それ以上無理に要の腕を解こうとしなかった。
「今日、日勤ですよね」
「まあ、予定では…」
「先に上がりますけど、七海さんが仕事終わったら、今夜は何か美味いもんでも食べましょう」
「…定時に終わる保証なんて、無いんだからな」
「いつもの事じゃないですか。待ちますよ」
「別に、待たなくても  そりゃ、お前がそうしたいなら、別に良いけどさ」
 そんな風に言いながら目を逸らすのは、彼の照れ隠しだと言う事くらいは要にも分かる。
「せっかくなら、二人で食べましょうよ。ね?」
 頬に手を添えて、目を覗き込んでみる。
 応える様に、七海が目を閉じてくれたので、要はその瞼に軽く口接けた。
 数秒の後、七海が要から身体を離す。
「あー、その…。
 じゃあ、また後で」
 目線を横に逸らせた顔には、僅かに朱が走っている。
「はい。また後で」
 手早く着替えを済ませ、次の持ち場へ向かう七海の背中を見送る。
 この時要は、ついさっき雄介が七海を捜していたと、言えなかった。
 本当は言うべきだったかもしれない、と思わない訳ではなかった。
 再び無人になった医局で、要は逡巡する。
 しかし、結局そのまま帰宅する事にした。
(七海さんだけじゃなくて、俺も妙に雄介が気になってるんだよな)
 雄介に関わってからずっと尾を引いている、正体不明の不安感。
(何なんだ、これは)
 ざわざわする。
 もやもやと、黒い雲が胸中に覆う。
 とんでもない波瀾が、この先に待ち受けている。
 そんな予感が離れない。

(駄目だ、頭を切り替えよう)
 今夜は久々に二人きりでゆっくり過ごせるのだから。
 胸中の荷物を無理矢理見えない場所へ押しやる。

 一人で歩く帰路、要はその歩速度を少し上げた。


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Scene.3 空 想 科 学

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+++ 目次 +++ 

    本編
  1. 嘘の周波数
  2. Ancient times
    夏祭り SS
  3. 抗体反応
    After&sweet cakes SS
  4. 依存症 [連載中]
    自殺企図
    渡辺教授
    ⅲ空想科学
    scene.1
    scene.2
    scene.3
    scene.4
    scene.5
    疑似科学
    幻覚肥大
    共鳴振動 NEW!
    番外編
  1. 真実の位相
  2. 二重螺旋
    企画短編
  1. 50000Hit記念
    Stalemate!? [完結]

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