Scene.3 空 想 科 学

1.桜川病院救命救急部/病棟  12月17日 AM9:30

 当直明け翌日で本来休みだった要も、急な欠員が出た為に午前勤の形で出勤していた。
 今日が当直入りの七海も、朝から一緒に出勤している。
 朝の回診時刻の少し前に、医局に着いた。
「ここんとこオンコールやら休日返上やら続いて悪いねぇ」
 と、全く悪びれ無い顔で医局長がにやりと笑う。
「いいですけどね、別に」
 要は大きな溜息をこぼした。
 とは言うものの、元々、取り立てて予定の無かったオフだ。
 それなら、出勤して現場に入るのは悪くない。
「しかも、コッチのチームに引き込んじゃったしなぁ。気ィ利かなくて悪いね」
 ますます揶揄い顔だ。
「別に、良いですよ。そんなの。仕事なんですから」
 それに、昨日の今日で、組んで仕事をするのは気まずい気もしていたし、むしろこの組み合わせで良かったかもしれない。
「何だ、何だ? 随分冷めてんじゃねぇか」
 あながち建前ではない要の言葉に、医局長が顔を覗き込ませた。
「そんな事無いです」
 とっさに、要は目を逸らせてしまった。
「何だ何だ何だ、喧嘩か?」
 逸らした目を更に覗き込まれる。
「別に、そんなんでもないですよっ」
 その視線を払うように、要は前髪を掻き上げる振りをして顔を隠した。
「じゃあ、倦怠期か」
 さらっと放たれた一言に、要は反射的に振り返った。
「そんな事は  
 無い、と、咄嗟に言い切れなかった。
(そうか)
 これが、いわゆる倦怠期ってヤツかもしれない。
 何となく納得してしまいそうになった瞬間。
「遠藤! 回診!」
 七海の声が、要を呼んだ。
「あ、はいっ!」
 慌てて立ち上がる。
「医局長、10分ほど借りますよ」
 七海は本日臨時の要のリーダーに断りを入れた。
「へえへえ、。うちの班は今落ち着いてるんでね。あ、そのままなし崩しにお持ち帰りすんなよー」
 その言葉に、さすがにげんなりとした顔で一瞥をくれると、七海はとっとと医局を出てしまった。
「あっ、ちょっと待って下さいよ!」
 慌ててその後を追いかけ、要も医局を飛び出した。

 結局、古賀雄介の引受先は決まらないまま、2日目の朝を迎えていた。
 彼は今も、救急病棟の個室でふてくされたままである。
「内科はどうだったんですか? この際、消化器内科でも良いんじゃ…」
 中毒と言えば、一応は内科の領域のはずだ。
「そっちも、消化器症状が無いなら適応外だって言って断られたとこだ」
「ああ…」
 確かに、彼は別段腹部の症状は示していない。
「まあ、そもそも中毒自体は消化器に症状が無ければそもそもは総合内科の領域なんだけどな。
 あっちは初手に断られたから  騙し騙し消内で取ってくれりゃラッキー、と思って打診してみたんだけど…甘かったか。
 まあ一応、精神科にもあたってみるけど…どうかなぁ」
 個室へ続く廊下を進みながら、七海が大きな溜息を吐く。
「え? それは、どういう?」
「うつ症状で通院中って話だけど、あれは多分うつじゃないし」
 バッサリ切り捨てるように、七海は言い切った。
「え、でも、抗うつ剤…処方されてんですよね?」
 つまり、その診断をした医者と言うのがいる訳なのだが。
「まあ、精神科の開業医って言うのは、かなり当たり外れがあるからなぁ。…言いたかないけど、コスト取れりゃ何でも良いってヤツもいるから。精神症状って言うのは、身体症状ほど数値に出ないから」
 要するに、患者の訴えるままを鵜呑みにし、改善指導もせず、もしかしたら不適当かもしれない薬を処方している。
と、言う事か。
「うちの精神科はハッキリ言って小児や児童やらは守備範囲外だから…急性期的な症状が無いなら紹介状渡してとりあえずお帰り頂くのも手なんだけど  
 そこで一度言葉を切って、七海は憂鬱そうに溜息を吐いた。
「けど…?」
 中途半端に途切れた言葉の先を促す。
「何て言うかなぁ  あの手のを放っておくと、すぐにリピーターになって帰ってくるんだよなぁ…」
 リピーター。
 つまり、同じ事を何度も繰り返すと言う事らしい。
「幾ら何でも、これだけ痛い目見たら、もう、やらないでしょう?」
 一時は心停止状態に陥ったのだ。
 三途の川に片足突っ込んで尚、同じ事を繰り返すものなのだろうか。
「いっそ、入院適用ぐらいの症状が出ていれば、監視できるんだけどな…」
 要の反論など耳に届いていないのか、七海は独り言の様に呟いた。
「ええ?! それは、どういうことですか?」
 思わず相手の顔を覗き込んで聞き直してしまう。
 その要の様子に、七海が疲れた顔で溜息を吐いた。
「……。
 このまま退院しても、あの患者は今のまま  何にも変わってないだろ」
 ここで一呼吸間を置き、更に七海は続けた。
「それに、心停止って言っても意識の無かった本人に、その自覚は無いだろうな。
 それどころか、うっかり助かっちゃったもんだから、こんなもんか、って、ナメてかかった気持ちが出てくるかもしれない。
 騒ぎを起こしては注視を買い、それを繰り返す。
 そして、そのうちに取り返しがつかなくなる時が来る」
 七海の顔は大真面目だった。
「取り返しの、つかなくなる……」
「つまり、自殺完遂って事だな。本人にその意志は無くてもね」
「ああ…」
 狂言自殺のつもりが、本当に死んでしまう。
「だからこそ、止めさせるんなら今なんだ。
……1回目の今なら、自覚さえ持ってくれれば、リピーターにならないでくれる」
 だから、七海は慎重になっていたのだ。
 病を病として自覚させなければ、彼は同じ事を何度でも繰り返す。
「まるで、少年犯罪みたいですね…」
 思わずそんな言葉が要の口から飛び出した。
「ん、まあ…善悪の区別が付けられない点では、そうかもな。
 まあ、だから外部からカウンセラー呼んだんだけど」
「あ、そうなんですか?」
 それは初耳だ。
「さっきも言ったけど、このまま放り出してリピーターになられたら寝覚めが悪いだろ」
「それは…そうですが」
「…リピーターになられたあげく、その患者持ってかれたら  想像以上に後味悪いんだぞ」
 溜息まじりにそう言った七海が、ぴたりと歩を止めた。
 件の患者の病室、5メートル手前。
「? どうかしました?」
 忘れ物か。
(なんて、まさかだよな)
「いや、慣れない事するから、ちょっと気合溜めとこうかと思って」
 気合と言う単語とは裏腹に、七海は怠そうに右肩を回した。
「気合ですか」
 到底、気合を溜めている様には見えないが。
「そ。気合」
 そして、更に怠そうに首を回すと、七海は再び歩き始めた。
 もう視界に入っている、廊下の再奥に切り取られた、オフホワイトのスライドドア。
 ゆっくりでも、素早くでもない、程良い速さで彼はそれを開けた。
 ドアが開いたのに気付いて、少年は顔を上げる。
『うるさいのが来た』  そんな顔だ。
 七海は相変わらずそんな事には頓着しない様子で、回診を始める。
 要は、1歩後ろでその遣り取りを眺めていた。
「気分どう?」
「サイアク」
「でも、胸も肺も、音は綺麗だな」
「だから、もうどうもないし…タイクツなんだよ! まだ帰れねぇの!?」
「そこら辺は、今の段階で判断できないな。午後からまた専門の先生が来るから、それからだ」
「何だよ、お前、シロウトかよ」
 古賀雄介がわざと揶揄うような口調で言った。
(この、クソガキ)
 二人の会話を後ろから眺めていた要は、心の中で反撃してみた。
 本来なら声に出して反撃したいところだが、今のところ、主治医は七海だ。
 口出ししてはいけない。
 当の七海は、相変わらず涼しい顔で流している。
 それどころか  
「僕は医者だからね。子守は確かに専門外かな」
 負けていない。
 切り返した彼自身も、揶揄い混じりに笑っていた。
(そうでした。こういう人でした)
「んだよ、それ!」
 少し頬を膨らませ、雄介はソッポを向いた。
 口撃は、今のところ七海が優勢のようだ。
「そのまんまだよ。子供の面倒看るのは子守だろ?
 まあ、午後には子守の専門家が君の話を聞きに来てくれるはずだから
  せっかくの機会だ。いろいろ話してみたら?」
「………。
 別に、特に何もねぇけどな」
「そう? 無きゃ無いで、僕は構わないけど。じゃあ、また夕方」
 七海が話を切り上げて離れようとした時だ。
「あ、センセイ!」
 慌てた様子で、雄介が七海を振り返った。
「どうした?」
「いや、どうしたってんじゃないけど  センセイ、昔から頭良かった?
 クラスで一番とか、模試はいつもA判定?」
「何だか、随分飛躍した質問だけど…」
 そう言いながらも、七海は再び雄介の方に向き直った。
「どう…だった?」
 雄介が身を乗り出す。
「別に、特別頭が良かった事はないよ。
 中学校くらいまではごく普通だったし、高校時代もその後も、特別抜き出た頭じゃなかったし。
 模試もB判定が多かったと思うよ」
「そんなんで、医者ってなれんの?」
 不信げに雄介は七海の顔を見詰める。
「さあ、どうだろ。でもまあ、今こうしてる訳だから  
 なれたってことだろ、と七海はその視線を受け流した。
「何だよ、結局勉強しなくても元からデきるって話かよ」
 彼は七海の態度をそう受け取ったようだ。
 むすっとした顔で睨んでいる。
「いや、そういうのじゃなくて  現役の受験生にこんな事言って良いのかな…」
 自分の言葉を誤解された事に気付いた七海は、少し困惑した顔を見せた。
「何だよ、言っちゃえって!」
 雄介が紙芝居の続きをせっつく子供のように、七海を促す。
「要するに、国立の医学部でトップクラスの成績を取ろうと思うと大変だけど、偏差値そこそこの私立で苦手科目避けながら、ギリギリでもスレスレでも合格ライン超えりゃ合格ってこと」
 困惑した様子のまま、七海はそう応えた。
「何だよ、それ」
 雄介が噴出した。
「笑うな。ついでに、あんまり他所で言うなよ」
 ここでびしっと締めた所で、あまり説得力は無いと思われる。
 案の定、雄介は、七海が付け足した言葉に大笑いしている。
「お前、変わっったセンセイだな! なあなあ、そっちのデッカイ方のセンセイは?」
 ひとしきり笑った後、雄介は、七海の後ろに立つ要に視線を向けた。
「え? 俺? 俺も、まあ、普通…かな」
 急に水を向けられ、答えに詰まってしまった。
(何だ? 急に打ち解けたな)
 何が気に入ったのか、雄介の態度が軟化している。
「ああ、見るからにフツウっぽいよなー」

  むっ。

(どういう意味だよ……)
 悪気は無さそうな顔だが、どうも刺さる一言だ。
 けれど、とりあえずここは我慢である。
 せっかく話す気になってくれた訳だし、ここは水を差してはいけない。
 そうしている間にも、七海と雄介の会話は続いていた。
「そんな質問してくるとこ見ると、受験勉強が煮詰まってる?」
 まるでクラスメイトに訊ねるような気軽さで、七海が雄介に質した。
「別に…そこまでじゃないけど」
 その問いに彼は、ばつの悪そうな顔をして俯く。
 その声が、小さく萎んでいだ。
(ビンゴ、か…?)
 七海は、核心を突いたのだろうか。
 雄介が、また難しい顔に戻っていた。
「模試の結果が揮わない?」
 しかし七海は、構わず質問を続けた。
(また、だんまりに逆戻りしないかな)
 やっと打ち解けてくれたのに、あまり踏み込み過ぎて元の木阿弥にならないだろうか。
 しかし、要のそんな危惧を打ち消すように、雄介は口を開いた。
「ちょっと…足りねぇ」
 短い言葉だったが、そこに彼の途方に暮れた気持ちは十分染み込んでいた。
「この時期だし、ちょっと焦る?」
 七海の声は、あくまで淡々としている。
「……………」
 その言葉に、雄介は視線を彷徨わせた。
 そして向き直り、七海の顔を見上げ、シニカルな表情で言った。
「お前も、頑張ればどうにかなるさとか励ましてみるか?
 それとも、努力が足りないからだ、って説教でもしてみるか?
 結局逃避じゃねぇかって、詰ってみるか?」
 絵に描いたような『悪ガキ』の顔が、少しだけ大人びて歪む。
 今の言葉は、全てそのまま誰かに言われた言葉なのだろう。
 なるほど。
 古賀雄介の悩みは、大学受験か。
 ふと、最初の面接で耳にした、彼の通う高校の名前を思い出す。
(人によるけど、受験ってのは10代の一大イベントの一つだよな)
 それに失敗すると、何となく人生お先真っ暗  などと錯覚してしまいそうな。
 特に、それなりの進学校に通い、成績もそこそとあれば尚更。
(『そこそこ』って事は、逆に言うと、手が届きそうで届かないところにライバルがわさわさいる状態って事だもんな)
 平均よりちょっと上  その辺りをうろうろしていると、諦めるにも踏ん切りがつかなかったりする。
(うーん…懐かしいと言うか何と言うか  
 かく言う要自身が『平均より少し上』で3年生まで過ごしてしまった経験者である。
 お蔭様で、受験戦争ではなかなかハードな体験をさせて頂いたクチだ。
(そう言や、七海さんって学生時代はどんな感じだったんだろ?)
 研修医時代は模範生で通っていたらしいと聞いたが、学生時代もやはり優等生だったのだろうか。
 それとも、ついたった今本人が言った通り、ほどほど  だったのだろうか。
 とりあえず、七海が彼にどう応えるのか、要は黙してそれを待った。
 しかし。
「言ったろ? そんなのは僕の仕事じゃないって。
 それより、暇なら本を貸してやる。読み終わったら詰め所にでも返してくれれば良い」
 七海が白衣のポケットから、文庫本を取り出した。
「何だよ、そりゃ」
 唐突な七海の行動に、雄介が怪訝な顔をしている。
「暇潰しって言ったじゃないか。退院が決まるまで、それでも読んで時間潰してろ」
「えー、同じ暇つぶしならゲームとかねぇのー?」
 不満気な視線が、小さな本に注がれた。
「図に乗るなっての。たまには教科書以外の活字でも読んでみな」
 柔らかそうな拳を作って、七海が雄介の頭のてっぺんを小突く。
「しょーがねーなぁ、借りてやっか。
 説教くせー内容だったら、ゴミ箱に捨てっからな!」
 そう言って雄介は、七海の手から文庫本をひったくった。
「はいはい。じゃあな。大人しくしてろよ」
 そして七海は、今度こそ古賀雄介の病室を後にした。

「さっきの本、何ですか?」
「ああ、あれか? ただのSF小説だよ。
 かなり古い作品だから、今時の子供にはウケないかもしれないけど」
「じゃなくて、何か意味があるとか?」
「別に、無い」
「え?」
「だから、これは僕の仕事じゃないって、最初から言ってるじゃないか。
 ただ、退屈させとくとロクな事しなさそうだから、暇つぶしでも持たせたらちょっとはマシかと思っただけだ。
 で、 たまたまロッカーに放り込みっぱなしだった本を持ってきただけ」
 呆れた顔で、七海が溜息を吐いた。
「ええ??」
(そんな理由!?)
(でも)
 自分の仕事じゃない、と言い張る割には  
(それって)
(却って)
(妙に  気ぃ遣ってないか?)
 そして、最初は反発していた雄介の方も、最後の方には大分打ち解けていたような。
「あーあ。小児科は担当外だから、気疲れする」
 要の心の声に応えるように、七海が言った。
「はあ、まあ…って、雄介君、小児科じゃないですよ?」
 小児科は15歳まで。
 彼は確か、17歳ではなかったか。
「あ、そうだっけ?」
 彼に先刻受験の話を振ったていのはどこの誰だか、七海は知らん顔で窓など見ている。
「いいですけど…」
 やれやれ。
「まあ、思ったより落ち着いてて何よりだったな」
 七海が、問いかけとも独り言ともつかない口調で、呟いた。
「午後からカウンセラーの人、来てくれるんですよね?」
「ああ」
「じゃあ、その人に申し送りしたら一段落…ですかね」
 専門科に引き継ぐ。
 救急部としては、そこまで。
 そういうラインの上に、やっと足を乗せた。
  はずだ。
「ん、まあ…一応、そういう事になるのかな  
 あ! その申し送る相手がもうすぐ来るんだった!」
 腕時計に目を落とした七海が、歩速度を上げた。
「ええっ!? 午後じゃないんですか!?」
 申し送る相手  古賀雄介を担当してもらう予定のカウンセラーだ。
「直接診てもらうのはな! 送りは朝のうちにって言ってたんだった!」
 段々と七海の足が早くなる。
 七海に合わせて要も足を早め、医局のドアが見える頃には、二人とも駆け足のような歩速度になっていた。


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Scene.3 空 想 科 学

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+++ 目次 +++ 

    本編
  1. 嘘の周波数
  2. Ancient times
    夏祭り SS
  3. 抗体反応
    After&sweet cakes SS
  4. 依存症 [連載中]
    自殺企図
    渡辺教授
    ⅲ空想科学
    scene.1
    scene.2
    scene.3
    scene.4
    scene.5
    疑似科学
    幻覚肥大
    共鳴振動 NEW!
    番外編
  1. 真実の位相
  2. 二重螺旋
    企画短編
  1. 50000Hit記念
    Stalemate!? [完結]

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