5.桜川病院救命救急部/医局  12月16日 AM9:30

 もやもやする気持ちを抱えたまま要が医局へ戻ると、医局長が古賀雄介のカルテを睨んでいた。
「おっ、常盤木、遠藤、お疲れさん」
 軽く片手を挙げ、医局長はカルテを机に放った。
「お疲れ様です」
 要は頭を下げ、七海は軽く会釈した。
「そんで、常盤木は、この多感な少年をどうするつもり?」
 七海の顔を見るなり、彼は古賀雄介の今後を質した。
 閉じたカルテの表紙を、医局長が軽く突付く。
「そうですねー。正直、精神科でも無さそうなんですけど。 まあ、今後の再発防止を考えるなら、専門家のカウンセリングくらいは受けて貰った方がいいかなって印象ですね」
 当然予想していた問いだと、七海は即座に答えを返した。
「つまり、精神疾患では無い、と」
「狭義ではそうですね。それより、気になってるのは母親の方です。
 母親は、息子が無茶な薬の服み方をした可能性に気付きながら、 昨日、あなたに問い詰められるまでそれを明かさなかった。命が掛かってるのに、です」
 七海は、昨日要が感じた疑問を口にした。
(やっぱり、同じ事感じてたんだ…)
 彼は、昨日の段階ではあれこれ詮索しても仕方が無いと言ったが、考えてない訳ではなかった。
 搬送時の救急隊の話では、母親があまりにも取り乱していて話が聞けないと言う事だった。
 ところが、処置後、七海が面接した時には違和感を覚えるほど落ち着き払っていた。
 それは、あまりにも不自然だった。
「そしてもう一つ。昨日、彼の母親は『自殺するほどの悩みを抱えていたなど、心当たりが無い』と言い切ったんです。 抗うつ剤を常用している息子にですよ? 普通なら有り得ない。何か、隠しているんだと思います」
(あ…っ!)
 言われてみれば、確かにそうだ。
 うつ症状があって、長期間抗うつ剤を服用している人物が悩みを抱えていない訳が無い。
 理由が『分からない』と言うのならまだしも、『心当たりが無い』と言うのはおかしいではないか。
(そうだ…そうだよな…七海さんが昨日深く追求しなかったのは、相手がそれを隠していると思ったからなんだ。隠そうとしているものを、真正面から問い質したところで、答えてくれる訳が無い…)
 不自然な母親の態度。
 それは、何かを隠そうとしているからだったのだ。
 こういう瞬間、嫌になる。
 まだまだ洞察力が足りない、何でもすぐに短絡してしまう自分が。
「で、常盤木としてはどうするつもりしてんだ?  現状では精神科には振れないだろうけど、薬が抜けちまったら薬物中毒でもなくなるし、内科も嫌がるんじゃないか?」
 本来、薬物中毒は総合内科の領分だ。
 しかし、この場合はどうなるのだろう。
「仕方が無いですね。うちで引き受けるしかないでしょう」
 七海が大きく溜息を吐いた。
「担当医は? カウンセリングが絡むとなると、遠藤はハナから問題外。救急専門のお前も、胸部外科専門の俺も畑違いだぞ? ERは基本的に外科医中心だからな。内科医は何人かいるが、カウンセラーは皆無だ」
 そうなのだ。
 ERは基本的に急性期の患者に対応する為の機関なので、そこからの根治に関しては、それぞれの病棟に振り分けるのが通常である。
 つまり、カウンセリングなどと言う、特殊な、また時間の掛かる治療は、守備範囲の外なのだ。
「その事なんですけど  
 七海が医局長に答えようとした時、医局のドアが開いた。
 そこには珍しい人物の姿があった。
「おはよう」
 片手を挙げて入ってきた男  仕立ての良いスーツの上から、染み一つ無い白衣を纏ったこの人物は。
「え、あっ、渡辺教授!」
 要は手に持っていた教本を、思わず滑り落としそうになった。
「珍しいですね、教授。医局に顔を見せるなんて」
 七海もまた、物珍しげにその人物の顔を見遣る。
 教授は滅多に医局に顔を出す事は無い。
「何だ、俺の医局にいちゃ悪いか?」
 おかしそうに笑って、彼は七海の言葉に応えた。
 渡辺恭介教授、救命救急部の部長だ。
 半年前まで救急室と呼ばれていたこの部署は、正式に部として発足した。
 外科の付属部署として扱われていた救急科が、やっと独立した医局になったのだ。
 それは偏に渡辺教授なる人物の尽力と、計り知れない政治力の賜物である。
 故に、彼がここを『俺の医局』と言うのは正当な言である。
「別に、おかしかないけど。何の用かと思いまして」
 言葉遣いは一応丁寧に努めているが、このぞんざいな口調は、二人がそこそこ以上に親しい事を露骨に表していた。
(ったく、これじゃあ噂も立つよ…)
 渡辺教授は七海の母親の従兄、即ち親戚なのだが、院内でそれを知る者は極一部。
 ER内では、要を除けば医局長のみである。
 七海本人が曰くには、教授の七光りにあやかりたいと言う雑多な医局人から『身を守る』為に隠しているらしい。
 が。
 実は、それを隠している事で反対に、七海が渡辺教授の愛人ではないかという噂が立った事があるのだ。
 理由は、七海にまるで浮いた噂が無い事と、個人的に教授と二人きりで食事に行ったりしている事と、教授が結婚する前に住んでいたマンションに、今は七海が住んでいる事などから、あらぬ噂を呼んだ訳だが  
(隠してるなら隠してるで、もうちょっと慎めよな、二人とも  
 やれやれ、だ。
「まあ、いい。今日は遠藤先生に用事でね」
 教授はそう言って要に視線を向けた。
「遠藤に?」
 七海が露骨に怪訝な顔をして、同じ様に要の方を見た。
「は…っ?!」
 他に『遠藤先生』がいるんじゃないか、と、思わず周囲を見回してしまった。
「あ、俺…です、よね」
「…たりまえだ、馬鹿」
 七海が呆れた顔で溜息を吐いた。
「遠藤先生、当直明けで疲れているかもしれないが、今日の晩、時間を空けて貰えないだろうか? この間の件で、ゆっくり話をしたいと思っているのだが」
 言い回しはソフトだが、そんなもの、例え72時間寝ていなかったとしても断れる訳が無い。
「『この間の件』…?」
 怪訝な目を、七海が向けた。
「ああ、まだ七海は聞いてない訳か」
 教授が、意外そうに目を瞬かせた。
「だから、何を?」
 訳が分からず、七海は少し語気に棘を含ませた。
「あ、いや  
 慌てて説明しようと開いた要の口を、教授の言葉が遮った。
「それじゃあ、七海も一緒に行くか。その方がいいな、うん。小田切、コイツ定時で上がらせられるか?」
 教授は勝手に予定を決めてしまい、医局長に話を振った。
「まあ、構いませんがね。今日は整形と外科から人手借りてますし」
 さらっと医局長は承諾した。
(まあ、さしもの医局長も逆らえないだろうな…)
 聞くところによると、医局長と教授は、大学の直接の先輩後輩らしい。
「決まりだな。七海も来い。7時に正面玄関集合だ。  おっと、これから会議なんだ。それじゃあな」
「あ、ちょっと…!!」
 用件だけ言って、教授は医局を去っていった。
 抗議しようと発せられた七海の声は、敢無く医局のドアに遮られた。
「常盤木、ちゃあんと7時に帰してやるから、心配すんな」
 医局長がにやっと笑った。
「いや、それは別に…それより、遠藤、どういうことなんだ。話って何だよ」
 七海が非難がましく要の顔を睨み付けた。
「あの、実はですね  
 今度こそちゃんと話をしようと、口を開いたその瞬間、またもや邪魔が入ってしまった。
 派手に鳴り響くアラート。
 消防から、救急搬送要請を告げる入電だ。
「ああ、もう!」
 苛立たしげに、七海は立ち上がった。
 要も術衣に手を掛ける。
「遠藤は、帰れ」
 医局長がその手を止めた。
「え、でも」
 要は、この場にいる以上、自分も処置に入らなければ、と思った。
「いいから、シフトを守れ。部としてやっていく以上、シフト上無理をしないことだ。今は人手が足りている。足りない時も出てくるだろう。その時はヘトヘトでも動いてもらうんだ。それ以外は休んで、体力を温存しといてもらわないとな」
 軽く背中を叩かれ、デスクの上の私物を渡された。
 問答無用、と言う事らしい。
 こういう時の医局長は、逆らっても無駄だ。
 要は素直に術衣を戻した。
「はあ…じゃあ、お先に失礼します」
 要がそう言った時、既に七海の姿は医局に無かった。
 ERのエースは、もう、現場たる救急初療室へ向ったようだ。
 他のスタッフも同様に初療室へ。
 誰もいなくなった医局に、要だけが取り残された。
 がらんとした室内に、ぽつんと一人立っていると、何とも言えない肌寒さを感じる。
(何か最近、しっくりこない)
 何一つ大事な話が出来ていない。
 本当に話さなければならない事が、何もかも置き去りだ。
 要は、大きく一つ溜息を吐いた。
(…こうしててもしょうがない)
 どこか後ろ髪を引かれる気持ちで、要は、職場を後にした。

 病院からの帰り道。
 昨日とは打って変わった、晴れ渡る青空。
(うー…寝不足の眼で青空を見ると、こめかみが痛くなるな)
 目を細めて、それでも要は空を見詰めた。
 雲は一つも無く、太陽は白く  
(嫌味なぐらい晴れやがって)
 こめかみの痛みが、そのまま眉間に響いた。
「………」
 溜息が洩れる。
(未熟だ…)
 たった今、考えている事。
 それは、患者の事ではなく、恋人の事だった。
(これは、本当に、未熟だ)
 医者として。
 あまりにも。
(分かってんだけど…)
 それでも、頭の中を支配しているのは、七海の不自然な態度。
(実は…あれは、ああいうのは、覚えがあるんだ)
 ああいう事は、初めてではなかった。
 ただし、相手は七海ではない。
 医大に入学した最初の年に、半年ほど交際していた相手。
 付き合い始めて3ヶ月ほどたった頃、彼女が、昨日七海が言ったのと似たような事を、やはり言った。

『要って、意外と素っ気無いよね』

(何でだろう)
 当時も、やはり理由が分からなかった。
 分からないまま、何となく自然消滅してしまった。
 これと言って喧嘩した訳でもなく、少しずつ会う時間が減って、自然に離れていったのだ。
(何で)
 ただ、そんな言葉を聴いた頃から、彼女はつまらなそうな溜息をよく吐くようになった。
 そして、些細な事で苛々する事が多くなり、目に見えて口数が減っていった。
 一体何が、冷たいだの、素っ気無いだの、思わせてしまうのだろう。
(今の状態と、何となく似てる…よな)
 さすがに、七海の方が大人な分、やたらに苛々したりはしないが。
(まぁ、今回に限って言えば、教授の話を事前にしそびれたままだったのは、確かにマズかったけど…)
 恋人としてだけではなく、指導教官に対しても、礼を欠いた事になってしまった。

 だけど。
 しかし。
 それだけ、だろうか  

 どちらにしても、気の重い夕食になりそうだ。
 要は、再度大きな溜息を吐いた。
(早く帰って、とりあえず一眠りしよう…)

 要は、七海のマンションへ向かう足を、少しだけ速めた。

scene1.自殺企図 了

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+++ 目 次 +++

Scene.1 自 殺 企 図

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+++ 目次 +++ 

    本編
  1. 嘘の周波数
  2. Ancient times
    夏祭り SS
  3. 抗体反応
    After&sweet cakes SS
  4. 依存症 [連載中]
    ⅰ自殺企図
    scene.1
    scene.2
    scene.3
    scene.4
    scene.5
    渡辺教授
    空想科学
    疑似科学
    幻覚肥大
    共鳴振動 NEW!
    番外編
  1. 真実の位相
  2. 二重螺旋
    企画短編
  1. 50000Hit記念
    Stalemate!? [完結]

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