4.桜川病院救命救急部/病棟  12月16日 AM9:00

 明けて翌朝。
 昨日の鬱とうしい天気が嘘の様な晴天。
 当直明けの目に、雲一つ無い空は空々しいまでにからっとしていた。
 昨日は結局、休日に呼び出された七海はあの後再び自宅へ戻った。
 当然のように昨日の代休など無いこの業界。
 今日は既に日直で出勤している。
「遠藤、もう帰っていいぞ。時間通り帰らないと、急患入ったら抜け損なうだろ」
 いつまでも帰ろうとしない要に、七海が言った。
 病棟はちょうど朝食を下げた頃だろうか。
 これから朝の回診が始まる時間だ。
「あの、回診までいていいですか?」
「いいけど、その後帰りそびれても文句言うなよ?」
 訝しげに七海が要の顔を見ている。
「言いませんよ、そんなの」
 何が、ではないが、要は昨日の古賀雄介が気になっていた。

 彼の事を考えると、胸の奥の原野を不穏な雲が覆うのだ。

 これから起こる何かへ、警鐘を鳴らすように  

「来るなら来るで素早く動けよ。朝は時間無いんだから」
 七海が医局のドアを開けながら、苛立たしげに要を振り返る。
「あっ、すみません。すぐ行きます」
 要は慌てて立ち上がった。
 七海の後を追って、救急部の病棟へ向かう。

 朝の病棟は、妙に活気がある。
 限られた時間で決められたルーティンを全てこなさなければならないから、と言うのもあるだろうが、やはり一日の始まりだからなのだろう。
 当直明けの朝でさえ、やはり『始まり』と感じるのだから。
 しかし、そんな朝の喧騒さえも届かない静かな一角が、救急病棟には、ある。
 桜川ERの場合、全てで30床ある病室の最も奥、個1から3の番号を振られた3つの個室があるスペースが、それだ。
 一旦は生命を取り留めたものの、回復の見込みの無い患者と、その家族が、静かな別れの時間を過ごす為の部屋である。
(…本来は、な)
 その個室のうち、3号室と書かれた部屋の前で七海が足を留めた。
「おはよう、気分はどうかな?」
 短くノックをして、相手の返事は聞かず、足を踏み入れる。
「…………別に」
 つまらなそうに返した声の主は、昨日の古賀雄介だ。
「雄介君、昨日の事は覚えてる?」
「……………」
 彼は、七海の質問には答えず、そのまま視線をあさっての方向に振った。
 結局、古賀雄介は、受入科未定のまま救急病棟に入院する事になった。
 今後、本人が許容出来るなら精神科のコンサルタントを受けて貰う事になるだろう。
 それで異常所見が認められなければ、退院出来るはずだ。
「顔色は、悪くないね。  うん、朝のバイタルチェックでも、異常無し。良かったね」
 相変わらず不貞腐れた顔でソッポを向いている患者に、七海はまるで気にしない様子で淡々と話を続けている。
 救命に成功した事で、むしろ恨まれる事すら珍しくない現場だ。
 今更、そのくらいでこの上級医が髪の先程も動揺する訳が無いのだ。
(まあ、慣れると言えば、慣れるけどな…)
 要には、まだ無理だった。
 患者本人や、その家族の反応に、いつもいちいち振り回されている。
「……これ、抜いてくれよ」
 やっとこちらを向いた患者は、点滴の管を鬱陶しげに引っ張った。
「まぁ、邪魔だろうね。でも、まだ抜針出来ないな。そこから水分や電解質…体液と同じ成分の液体を流してるし、それに、それ抜いちゃったら注射の指示が出たらその度に針刺されるよ? 嫌だろ?」
 ただし、動揺などしなくても、顔は笑っていても、手厳しい事に変わりは無いが。
「わぁったよ! いちいち、うっせぇ!」
 古賀雄介が、声を荒げた。
「分かってもらえたところで、君も質問に答えてくれる? 昨日の事は、覚えてるかな」
 七海が、最初にしたのと同じ質問を繰り返した。
 拗ねた顔で、古賀雄介は七海から目を逸らす。
「お説教でも始めんの? 別に、俺助けてくれなんて言ってないし、勝手にやったんじゃん」
 その言葉に、正直要はカチンときていた。
(このっ  
 心の中で拳を作りそうになった瞬間、七海の声がその思考を遮った。
「月並みな台詞だなぁ」
 肩を竦め、呆れた様な声で、そんな言葉を言い放ったのだ。
「お前、何言ってんの?」
 さすがに生意気盛りの小僧も怪訝な顔で七海に視線を向けた。
「自殺未遂の患者は、大抵そういう事言うんだよ。あ、子供限定のオプションで、『誰が生んでくれって言った?』ってのもあるかな」
 七海の言葉に、雄介は頬を紅潮させ、バツが悪そうにまた目を逸らした。
(あ、言った憶えあるんだな)
「ありきたりの台詞だ。オリジナリティの欠落だな」
 彼の表情からそれを読み取って、七海が言った。
 確かに、自殺企図の患者として、彼は典型的なキャラクターと言えた。
 その判断も、昨日、母親との面談で分かり得た範囲の事から窺うのみであるが、古賀雄介の置かれている状況はと言えば  
 表面的には別段問題の無い家庭、一人っ子である彼が兄弟間で争う様な事は無く。
 学校では、程々に親しい友人も何人かおり、いじめを受けたり、孤立している様な様子も無い。
(外見だって、良い方だろうな。これは)
 それなりに整った顔の高校生を、要は改めて観察した。
(やれやれ、だ)
 思わず溜息を漏らしそうになる。
 近年、若年者の自殺企図が著しく増加傾向にあると言う。
 彼らに共通する特徴が幾つかあるのだが  その最たるは、『理由が無い』である。
(何で死にたいなんて思うかねぇ……)
 彼らにとって、世界はひどく薄っぺらで空虚なものなのだろうか。
 振り捨ててしまっても、何ら構わない様な無価値な代物なのか。
(もしかすれば、恵まれ過ぎているのかもしれない)
 必死にならなくても、何となく生きていける。
(命を永らえるのに苦労しないもんなぁ…今の若者は)
 と、考えてから、要は何となくげんなりしてしまった。
(…って、俺もまだ若いんですけど!)
 救急などに係っていると、一気に老け込んでしまう気がする。

 何度も吐血して、その度運ばれて、それでもまた酒を飲む男。
 無免許の少年が運転するバイクに跳ねられ、命を落としたサラリーマン。
 子供を道連れに無理心中を図り、自分が生き残ってしまった母親。
 そして、この古賀雄介の様に意味も無く命を捨てる少年少女。

(…こんなもん日常的に見せられてりゃ、嫌でも老け込むよなぁ)
 自然と溜息が洩れた。
 『救急室には、人生の縮図がある』、と医学生の頃、誰かの著書で読んだ事があるが  
 要は、七海の背中の向うに不貞腐れて座っている少年の顔を、もう一度じっと見た。
「…どいつもこいつも馬鹿にしやがって」
 ぽつっと、少年が呟いた。
「馬鹿な事をしでかしたんだろ」
 七海が、馬鹿にするでも無く、呆れるでも無く、ただそう言った。
「今までの経緯は知らないけど、少なくともここに運び込まれた時点で君は、明らかに馬鹿な真似をしてたんだよ。馬鹿なことしでかしたら、馬鹿にされて然るべきだろ?」
 七海の言葉は、普通に叱り付けるより遥かに痛烈だった。
「……っ!」
 少年は頬に朱を走らせて、七海の顔を睨んだ。
「まぁ、僕の専門は身体の方なんでね、君の心に関しては、今日の午後、専門の先生が来るよ。話すも良し、噛みついて追っ払うも良し、好きにすると良い」
 七海は、涼しい顔でそれを受け、身を翻した。
 僅か一瞬、七海より長くベッドの方を向いていた要は、少年の視線が、立ち去ろうとする背中を慌てて追いかけるのを見つけた。
 既に背を向けていた七海は、当然それに気付かなかった。
 気付かなかったのは仕方が無いとしても。
 それを差し引いても。
 今の七海の一言は、冷たい  と、思った。
 七海を尊敬している要でさえそう感じるほど、彼は雄介を突き放したのだ。
「あの、七海さ…いや、常盤木先生  ちょっと冷たいんじゃ…?」
 そして、思わず口を挟んでしまった。
「言ったとおりだ。僕の仕事は…いや、お前の仕事も、身体を治す事だ」
 七海の答えは尚、淡々としていた。
「でも、精神が病んだままでは、身体は治らないんじゃないですか?」
 病は気から、では無いが、実際精神的に弱っていると身体の回復は遅い。
「だから言ってるじゃないか。心の方は、そっちの専門医が診るって。現時点で、僕らは専門外なんだよ」
 半歩後ろを歩く要を、七海が振り返った。
「あ…っ、そういう…事ですか」
 七海のそもそもの専門は外科。
 要も同じ。
 手術を伴わない内科的疾患や、精神疾患は、厳密には専門外だ。
「まぁ、蓋を開けてみればカウンセラーにも専門外かもしれないけど…」
 七海が大きく一つ溜息を吐いた。
「は…っ?」
「別に、精神の病でも何でも無いかも、って事だよ」
「え?」
「彼は別に、死にたいなんて本気で考えてなかったんじゃないかな」
「自殺企図ではないって事ですか? じゃあ、事故かもしれない…と? 2ヶ月分の薬、誤って服んだりしますかね?」
「服んだのはわざとだよ。それは分かってるけど  そうじゃなくて、本当に死にたい気持ちで服んだのか? って思ってね」
「死にたくないのに、そんな事します?」
 要は首を捻った。
「お前はシンプルだな」
 七海が小さく笑った。
(シンプルって…カタカナで言えばそうでもないけど、早い話が単純って事じゃないか)
 要は憮然とした。
「ごめんごめん、そんな顔するなって。それがいいとこだろ? お前の。
 何が言いたいって言うとさ、要するに、何となく雰囲気に呑み込まれてんじゃないか、って事」
「雰囲気?」
「一時期、あるじゃないか。死って奴がひどく幻想的で、綺麗なものに見える時期が」
「はあ…」
「……無さそうだな。お前」
 首を傾げている要を、七海が呆れた顔で見詰めている。
「無い、かも、しれません…」
 正直なところ、人並みに悩んだ事は幾らでもあるのだが、そういう薄暗さと無縁だった。
「何て言うのかな。子供には、一時あるんだよ。
 …珍しいお菓子を口に含む様に、死の舌触りに触れてみたい、そんな時期が」
 そう呟いた七海にも、あったのだろうか。
 それを問う暇は無く。
「そういうものは一過性の麻疹みたいなもんで、周りで幾ら何を言っても聞かない。だから、突き放すくらいで丁度良い。  本当にどこか病んでいるなら、それこそ専門外だしな…」
「ああ、まあ、そうですね」
 なるほど。
「遠藤先生  そんな事よりも、僕が昨日出した課題を早くやっつけたらどうだ?」
 人差し指で胸を突き、指導医は少々芝居がかった口調で生徒たる要の顔を睨んだ。
「えっ?」
 急に話を切り替えられて、要は一瞬目を瞬かせた。
「心肺蘇生のアルゴリズムについて、昨日僕は宿題を出してなかったかな? 勤務時間もとっくにも明けてるんだし、さっさと上がって自分のやるべき事をやれよ」
「あっ」
 そう言えば、昨日、蘇生時に使う薬品について、問われていたのを思い出した。
「思い出したか? ほら、さっさと帰れ」
 半ば呆れた様な顔で、彼は要を追い払う様な仕草をした。
「はい…」
「…………。
 僕のパソコンに、薬品のデータばかり集めているフォルダがあるから、どうやっても詳細が見つけられなかったら、それを見てもいい。そのくらいなら、薬学事典を引くのと変わらないし。…まぁ、お前が自宅に帰るつもりでいるなら、関係ない話だけど」
 要の顔を見た七海が、フォローする様に言葉を付け足した。
 もしかしたら、しょげた顔でもしていたのだろうか。
「え? いや…」
 むしろ、そう言われるまで、当たり前の様に七海の部屋へ帰るつもりでいた。
 日直なら、夜もそこそこの時間に帰ってくるだろうし  
「七海さんが構わなければ、いつも通りのつもりでいましたけど…」
 そして、夕食を一緒に食べて。
 それから。
 それから  
「そうか?」
「はい」
「…分かった。とりあえず、早く帰れ」
「はい…」
 それきり、七海はまた前を向いて歩き始めた。
 それにしても。
(『先生』ときたか…)
 医師同士はその上下に係らず、『先生』と呼ぶ慣わしがある。
 しかし、これは近しくなればなるほど崩れていくもので。
 当然、七海に『先生』付きで名を呼ばれた事など、人前で気を遣っている時を除けば、数えるほども無いのである。
(大体、付き合い始める前は『研修医』って呼ばれてたもんなぁ…。付き合い始めてからも、しばらくは名前なんか呼んでくれなかったし、…だから『先生』なんてホントに呼ばれたこと無いよな)
 要は、七海に分からないように小さく溜息を洩らした。

 最近、どうも変だ。
 妙にぎこちない感じがする。
 歯車がずれている様な居心地の悪さ。
(冷たいのは、本当に俺か…?)
 最近の七海の態度こそ、冷たいのでは。
 いや、冷たいというより。
 彼自身が、戸惑っている様な  

 雨も上がり、窓の外はすっかり晴れの清々しい青空だと言うのに、要の心には未だ重い雲が覆ったままだった。


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+++ 目 次 +++

Scene.1 自 殺 企 図

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+++ 目次 +++ 

    本編
  1. 嘘の周波数
  2. Ancient times
    夏祭り SS
  3. 抗体反応
    After&sweet cakes SS
  4. 依存症 [連載中]
    ⅰ自殺企図
    scene.1
    scene.2
    scene.3
    scene.4
    scene.5
    渡辺教授
    空想科学
    疑似科学
    幻覚肥大
    共鳴振動 NEW!
    番外編
  1. 真実の位相
  2. 二重螺旋
    企画短編
  1. 50000Hit記念
    Stalemate!? [完結]

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