scene.17 抗体反応

「ヤバイ…湯あたりした……」
 フローリングの床に四肢を投げ出して、七海が火照った顔を手で扇いでいる。
「す、すみません」
 原因は明らか。
 長風呂のし過ぎだ。
「過ぎたるは及ばざるが如し…って知ってるか?」
 弱々しい声で、皮肉を言われる。
「はい…。以後、気をつけます。あの、冷たいコーヒー、淹れましょうか」
 立ち上がりかけた瞬間、Tシャツの裾を掴まれた。
「いい。…いいから」
 右手で額を押さえて、七海は目を瞑る。
「いいから、ここに居ろよ」
「え」
「いなく、なるな」
 七海らしくない、気弱な声だった。
「……なりませんよ」
「……………」
 要の言葉に、七海は答えない。
 実は、要は以前空腹に負けて、寝ている七海を置いて買い出しに出たことがある。
(もしかして、アレ、意外と根に持たれてるのか??)
 すっかり上せてしまった七海の肌は、未だに赤みを帯びたままだ。
「この部屋にいますから、やっぱり何か飲みましょう。脱水症状起こしたら、怖いですよ」
「……………」
 やはり彼はその言葉に答えなかったが、今度は掴んでいたシャツの裾を離した。
 七海は酒に滅法強いので、一緒に呑んでいてもこんな有様になることはまず無い。
 いつも要が先に酔い潰されている。
(たまにこういうところ見ると、やっぱり可愛いよな)
 そんな不埒なことを考えつつ、要は、飲み物を用意するためにキッチンに入った。
 そして、コーヒーの準備をしようとして、手を止める。
(水の方がいいのか、この場合)
 冷蔵庫から、要が買い置きしているミネラルウォーターを取り出した。
 コップに入れて手渡してやる。
「味気無い……」
 やっと身体を起こしたかと思えば、第一声がこれだ。
「カフェイン系はダメです。気分悪くなりますよ。これだけ体力使って、更に吐くのは嫌でしょう?」
「…コジュウト」
「はい?」
「何でも無い」
 不承不承の態ながら、七海はそれを受け取った。
(この人は、どうしてこう自分の事になると無頓着になるかな)
 医者の不養生。
 いや、少し違う。
「何だよ」
 どうも、相変わらず心の声は、ダイレクトに顔に出ているらしく、七海がこちらを睨んでいる。
「いいえ」
「…ま、いいか」
 珍しく、いつもの一言は出なかった。
 言いたいことは口に出せ、と言う、七海の口癖。
「それより、こっち来いよ」
 七海の手がひらひらと要を手招く。
 どうやら隣に座れ、と言ってるらしい。
「?? はあ…」
 今でもそんなに離れて座っている訳ではないが、その短い距離を更に縮めた。
「そこで、左向け左」
「???」
 要は七海の左横に座った要は、次いで身体の向きを左に変えた。
 ちょうど横向きの七海に背中を向けているような姿勢だ。
「オッケー。ちょうどいい」
「わ!」
 要は、手に持っていた自分のグラスを滑り落としそうになった。
 七海が思い切り要の背中にもたれ掛かってきたからだ。
「ちょっと! 水こぼすとこじゃないですか!」
 凭れるなら凭れると、  いちいち宣言する人は、あまりいないか。
「誰かさんのせいで、起き上がってるとしんどいんだよな」
(う…それを言われると)
 要は言葉に詰まってしまった。
 正直、ちょっとやりすぎた気がする。
「でも…まさか、お前が朝日についていくとは考えなかったな」
 ぽつんと呟く声が、背中に響いた。
「す、すみません」
 それを言われると、ちょっと辛い。
「何度も相談されてたから、決行するなら最終日だろうなって言うのは、分かってたけど」
 責めるというよりは、その声は淡々としていたが、それが尚更ちくちく刺さる。
「すみません…もう全く、そんな話とは…」
「全く気付いてなかったのは、お前らしいな」
 背中の裏側で、七海が笑った。
「すみません」
 さっきから、謝りっぱなしだ。
「正直…ちょっと、試すみたいな気持も…あったかも」
「え?」
 予想外の一言に、思わず後ろを振り返る。
 凭れかかっていた七海が、バランスを崩してしまった。
 彼の手に持っているグラスの水が大きく跳ね上がった。
「わっ、急に動くなよ!」
「あ、すみません。  でも、"試す"って…」
 何を。
「朝日のこと。  僕から聞いてしまったら、お前は絶対動けないだろ。でも、僕の知らないところで、自分で気付いたら、どうするだろうって、ちょっとそんな気持ちも、あったりしてさ」
 ことん、と七海の額が要の胸に倒れてきた。
 顔が、見えない。
「…そんなもん、同じ結果しか出てこないです」
「…かもな。でもさっき、窓から、お前と朝日が並んで歩いて行くの見て、さすがにちょっと堪えた。ちゃんと、初めから話しておけば良かったって、後悔した」
(帰り際、妙に元気が無かったのはそのせいか)
 要が医局を出る時の、七海の曇った顔を思い出した。
「…あの」
 要が七海の言葉に答えようとした時、携帯がメールの受信音を鳴らせた。
 非常に珍しい事に、着信したのは七海の携帯だった。
 携帯を不携帯にしていることが多い彼に、メールを寄越す人間はあまりいない。
「僕にメール? 珍しい」
 七海はすぐに携帯を手に取り、中身を確認した。
 …
 …
 …
「…遠藤」
 背を丸くして小さな液晶画面を睨み付けながら呟いた七海の声は、心なしか少し怒っているような。
「え? 何か…」
「離れろ、お前」
 七海の声が低く据わっている。
「ええ??」
「あーもう、恥ずかしいヤツだな、お前は!」
 七海が、急に立ち上がって要から離れた。
「何ですか、一体!?」
 慌てて同じ様に立ち上がった要の前に、真っ赤な顔で七海が携帯を突き出した。


遠藤先生は、人と話 している間中上の空 でした。
きっと先生のことし か考えてなかったん だと思います。
いっぱい邪魔して、 すみませんでした。
その分、今晩はいろ いろ大変でしょうが 、先生も頑張ってく ださい。

追伸:今度、一緒に ケーキ食べに行きま しょう。

朝日ゆかり


「あーさーひーっ!!!!」
 何てメールを送るんだ。
 要は反射的に携帯を閉じた。
 人様の携帯でなければ、メールごと削除していた。
「…お前さぁ…分かりやす過ぎ…」
 既に、七海は部屋の端っこまで逃げている。
「ちょっと、七海さんってば! 何でそんな離れてるんですか!!」
 慌てて、七海の後を追う。
「わーっ! 寄るな!! 今、朝日は僕らがどうしてるか想像してるんだぞ!? やだよ、こっ恥ずかしい!!」
 普段使っていない本来の寝室に、七海は閉じ籠もってしまった。
 その上、ご丁寧に鍵まで掛けてしまった。
「えええ!?」
 そんなもの、自分達が実際にどう過ごしていようと、彼女の脳内では変化が無い事とか、
 明日からまた半月以上すれ違いシフトが続くのに、とか、
 大体何で彼女とメルアド交換してるんだ、とか、
 二人でケーキだなんて、やめて下さい、とか、
 そんな事を言う隙も与えてもらえなかった。

 その瞬間、要は、朝日の去り際の一言を思い出す。
(最後のイヤガラセ…って、このことか!!)
 てっきり支払伝票のことかと思っていたが、本命はこっちだったようだ。

 夏に嵐はつきもの。
 つきものだが  


 その後、七海に出てきてもらうまで、3時間を費やした要であった。

*2008/06/24*

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