scene.10 ミス

「さて…と。宮本さんは無事病棟に申し送りできたし、二人には事情を聞こうかな。どうしてこんな事態になったと思う?」
 七海の目が据わっている。
 それは、今回の呼吸不全はどちらかというと事故要素が強いからだ。
「第一には、無闇に寝かせたから…です」
 要は一番の間違いを答えた。
 急性喉頭蓋炎の場合、本人が嫌がっているのを押して無理に寝かせようとするのは禁忌。
 何故かと言うと、まず本人は涎すら嚥下出来ないくらい咽喉に痛みを感じており、その状態で仰向けにされると、余計に息苦しい。
 だから、身体を横にされる事に抵抗を示す。
 また、その事で患者が興奮してしまうのも良くない。
 余計に気道が狭まるからだ。
 結果的に、辛うじて開いていた気道が完全に詰まってしまったのが今回の症例である。
「分かってるじゃないか。ついこの間そんな話をしたところじゃなかったっけ? 人の話、聞いてたか?」
 久々に、真剣に怒っている七海の顔を見た。
「すみませんでした」
 素直に頭を下げる。
「常盤木先生、遠藤先生が来た時には、もう宮本さんは呼吸不全だったんです。遠藤先生のせいじゃないんです」
 隣に立つ朝日が、要をフォローした。
 彼女には、悪印象ばかり与えている気がしていたので、意外だった。
「関係無い」
 しかし、それに対する七海の反応は、取り付く島も無かった。
「でも、宮本さんを寝かせたのは私です」
 涙目になりながら、彼女は訴えた。
「朝日さん、そんな事じゃないから、いいよ。常盤木先生は誰がミスしたって事を追及してるんじゃないから」
 今にも泣き出しそうな彼女の背中を軽く叩いた。
「別に、責任は追及してない。ただ、出来ることは100%の力でして欲しい。 今回の場合、朝日は知らなかった。でも、遠藤は知っていた。知っているなら、それには十全に対処して欲しい。 寝かせたのが遠藤ではなくても、その後の対処が遅過ぎるだろ」
 間違った処置はそれで確認しておいて、七海が注意しているのは、呼吸不全を確認してから、処置室への連絡、そして搬送、その手際についてだった。
 確かに、要自身自分でもモタついていた印象があった。
 本来なら、発見した時点でストレッチャーにのせ、状況確認は処置室で処置を行いながらすべきだった。
「酸素の供給が絶たれてから脳細胞が崩壊し始めるまで、一体どれ程の時間があるのか分かってるか? 5秒だぞ。呼吸停止から、体内の残っている酸素が消費され尽くす前に、人工呼吸を始めなければならないんだぞ。心臓さえ動いてりゃ人間は生きてられる訳じゃないんだ。あらゆる処置は"限りなく正確に"、そして"可能な限り敏速に"だ。朝日も、これで今回一つ覚えたんだから、次はやるなよ」
 静かな雷が落ちた。
 ささいなミスが、患者のその後の人生を左右する。
 それが医療の怖さだった。
「はい!」
 要と朝日は同時に頭を下げた。
「じゃあ、家族への説明は遠藤が行け。呼吸器科と連動する形になるけど、宮本さんはお前が受け持つんだ。だから、報告の仕方はお前に一任する」
 カルテが要に手渡された。
 つまり、先刻のミスをミスとして報告するか否か、要に決めろ、と七海は言っている。
「は、はい」
 カルテを手に、要は処置室を出た。
 病室で待つ家族の許へ向かう。
 正直、少し迷った。
 本当の事を言うべきか。
 それとも曖昧に流してしまうべきか。
「遠藤先生! 一緒に行きます。謝罪しなければならないのは、私ですから」
 後ろから、朝日が付いてきていた。
 彼女のその一言で、気持ちは固まった。
 正直に言おう。
 それがミスであろうと、不可効力であろうと、患者に何が起こったのか、患者にも家族にも、知る権利がある。

 結局、病室で待っていた付き添いの女性には、事細かに病状を説明し、その際こちらの不手際も謝罪した。
 幸い大事に至らなかった事もあるが、こちらが正直に説明した事で反対に信頼を得る事が出来たようで、特に揉めるような事にはならずに済んだ。


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